浅草寺

浅草寺は東京都台東区浅草にある都内最古の寺院である。浅草観音と呼ばれる。浅草の代表的な観光地である。本尊は聖観音菩薩。山号は金龍山。天台宗であったが、第二次世界大戦後に独立して聖観音宗の総本山になった。江戸三十三箇所観音霊場の一番。坂東三十三観音の十三番札所。

推古天皇時代の628年に隅田川下流で漁をしていた檜前浜成(ひのくまはまなり)、竹成(たけなり)兄弟が網にかかった観音像を発見し、安置したことに始まる。本堂や五重塔、雷門、宝蔵門の歴史は古い。平公雅(たいらのきんまさ)が942(天慶5)年に創建した。平公雅は平良兼の息子で、平将門と度々争った。武蔵守となって、浅草寺を再建した。

本堂は1649(慶安2)年に三代将軍徳川家光が建立し、1958年(昭和33)年に再建された。五重塔は仏舎利を奉安したインドのストゥーパに由来する。1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で焼失し、1973(昭和48)年に再建された。東日本大震災では「相輪」と呼ばれる装飾が壊れた。

宝蔵門の右横には母子地蔵尊が安置されている。周囲には赤い幟が立っている。終戦後の混乱の中で中国東北地方(満州)から日本に帰ることができなかった人々の霊をなぐさめるために祀られた地蔵である。「まんしゅう地蔵建立委員会」が建立した。

母子地蔵尊の向かいには二尊仏が安置されている。右は観音菩薩坐像、左は勢至菩薩坐像である。共に金銅坐像である。屋外に安置され、雨に濡れるため、「濡れ仏」と呼ばれる。江戸時代の仏師・太田正儀の作である。

浅草仲見世通り

東京都台東区の雷門から浅草仲見世を歩く。仲見世は浅草寺の表参道である。雷門から宝蔵門まで約250mの長さである。参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ。下町の活気溢れる商店街である。雷おこしや人形焼き、扇子、髪飾り、模擬刀、キーホルダー、ストラップ、江戸木札などが溢れている。外国人観光客が多く、外国語が飛び交っている。

雷門は改修工事中

雷門は東京都台東区浅草にある浅草寺の山門である。雷門と書かれた赤い大提灯が有名である。正式名称は風雷神門で、提灯の裏側には風雷神門と書かれている。雷門に向かって右側に風神の像、左側に雷神の像が建っている。風神と雷神は浅草寺の建物を風水害や火災から守る。

雷門は東京有数の観光名所である。パリのエッフェル塔のように東京のアイコンになっている。外国人観光客も多い。写真撮影の観光客で賑わっている。現在の雷門は昭和35年のものである。

雷門は2017年6月から10月まで改修工事中である。瓦の交換などを行う。工事シートに覆われ、提灯だけが見える状態である。提灯の下は通行できる。屋根のように見えるのは工事シートに描かれた絵である。

櫛田神社

櫛田神社(くしだじんじゃ)は、福岡市博多区上川端町にある神社。祭神は正殿に大幡主命(櫛田宮)、左殿に天照皇大神(大神宮)、右殿に素戔鳴尊(祇園宮)の三神。大幡主大神は別名大若子命。孝謙天皇の御代、天平宝字元年(757年)創祀。伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものとされる。天正15年の豊臣秀吉の博多復興に際して現社殿が建立された。

愛称は「お櫛田さん」。商売繁盛、不老長寿の守り神として信仰を集める。三羽の鶴に囲まれた井戸では水を三回に分けて飲み、その度に「不老長寿」の願いを念じる。入口の門にある干支恵方盤では今年の恵方(幸運な方角)が矢印で示されている。

境内には御神木の大銀杏(櫛田の銀杏)があり、県指定天然記念物になっている。その根元には二個の蒙古碇石があり、県指定考古資料になっている。蒙古碇石は蒙古襲来時の元の軍船に使用されていたものとされるが、平安時代以来頻繁に来航した宋の商船のものの可能性もある。

博多祇園山笠や「博多おくんち」でも知られる。博多祇園山笠は櫛田神社右殿の素盞嗚大神に対する奉納の行事である。7月1日の飾り山笠公開から15日早朝の追い山まで、福岡の博多部を中心に行われる。仁治2(1241)年を起源とする祭で、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。櫛田神社には博多祇園山笠が奉納され、飾り山笠は一年を通して展示される。

櫛田神社は川端通商店街に接する。川端通商店街は「川端ぜんざい」が有名。川端通商店街では11月16日から20日まで大売出し「誓文(せいもん)払い」を開催する。これは下川端の漬物店「金山堂」を営む八尋利兵衛が大阪の蛭子市の誓文払いを参考として、他の店舗の賛同を得て1879年(明治12年)から始めた。

近くには順正寺や萬行寺、善照寺がある。袖湊山順正寺は浄土真宗本願寺派の寺院。天正11年の創建で、空寂上人が開基。誓文払いを始めた博多商人・八尋利兵衛の菩提寺である。普賢山萬行寺は浄土真宗本願寺派の寺院。本願寺第八世蓮如上人の命により博多で布教を行っていた、弟子 の空性が1529年に普賢堂町に草庵を開いたのを始まりとする。法王山善照寺も浄土真宗本願寺派の寺院。

伊予松山城

林田力

伊予松山城は愛媛県松山市の中心部にある。金亀城(きんきじょう)や勝山城(かつやまじょう)とも呼ばれる。標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)がある。三之丸は土塁と堀に囲まれ、外部との出入口として、北御門(大手)と東御門(揚手)が設けられていた。

江戸時代以前に建造された天守が残り、国の重要文化財に指定された。江戸時代以前に建造された天守は日本で12か所しか残っていない(現存12天守)。現在は城山公園になっている。姫路城・和歌山城とともに日本三大連立式平山城の一つである。「日本100名城」「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれている。

松山城の初代城主は加藤嘉明である。加藤嘉明は賤ヶ岳の七本槍の一人である。伊予国正木城主(10万石)であったが、関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍に属し、最前線で活躍した。その戦功により、慶長7年(1602年)、伊予国20万石を与えられた。大封となった嘉明は足立重信を普請奉行に任命して松山城を築城した。

松山城のマスコットキャラクターは加藤嘉明に因み、「よしあきくん」である。松山城築城400年を記念して誕生した。

林田力


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