高杉晋作

高杉晋作(たかすぎしんさく)は幕末の長州藩士である。尊王攘夷の志士として活躍、倒幕の原動力となった。諱は春風。1839年(天保10年)に長門国萩城下菊屋横丁(現在の山口県萩市)で、長州藩士・高杉小忠太の長男として誕生した。小忠太は200石の上級藩士である。高杉晋作の生家は観光地になっており、晋作の写真、書などが展示されている。また、庭園には歌碑や、晋作が産湯に使ったといわれる井戸も残る。

吉田松陰の松下村塾で学び、久坂玄瑞と共に双璧と称される。英米仏蘭の四カ国連合との和平交渉を担当した際は、古事記から語って煙に巻いた。百姓・町人なども動員して奇兵隊など諸隊を創設。保守派の椋梨藤太が藩政の主導権を握る状況にクーデター(功山寺挙兵)を起こし、長州藩を倒幕でまとめる。第二次長州征伐では幕府軍を打ち破った。

労咳(肺結核)を患い、1867年(慶応3年)に下関で死去した。「おもしろき こともなき世を おもしろく」の句を残している。墓所は山口県下関市の東行庵にある。1911年(明治44年)5月20日に高杉晋作顕彰碑が除幕された。伊藤博文は撰文で「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と評している。2015年NHK大河ドラマ『花燃ゆ』では高良健吾が演じた。

高杉晋作の一生は幕末の風雲児と呼ぶに相応しい破天荒なものである。ただ、戦前の大日本帝国陸軍が現場司令官の暴走を制御せず、彼らに大甘になったという負の影響も及ぼしていると考える。彼の行動が長州藩にどれだけ損害を与えたか、彼を制御できなかった長州藩のガバナンス不足を冷静に分析する必要がある。高杉晋作の暴走を評価する風潮が戦前日本の軍部の暴走を許したのではないか。

安倍晋三首相は2014年に高杉晋作の墓に献花し、「志が定まった」と語った。安倍首相の主観としては頑迷固陋な戦後レジームに対して、高杉晋作の心意気で立ち向かおうとしているのだろう。それ故に暴走政権と批判されることは、むしろ望むところかもしれない。

高杉晋作と安倍首相を並べて前者を評価して後者を貶めることは浅薄な議論である。前者を無条件に賛美する風潮こそ斬り込まなければならない。左翼で司馬遼太郎史観というものは、当時のトレンドに乗っかっただけの、どうしようもない守旧派になってしまう。

司馬史観では薩摩藩や長州藩にこだわるよりも日本人意識に目覚めることが進歩とされた。これに対してオール沖縄は日本人である前に沖縄県民であるという意識が勝利した。天下国家を優先するという類の、新自由主義者でも持っていない国家意識を捨てなければ、最も古い勢力となってしまう。

林田力 林田力


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