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東京スカイツリー賞賛一辺倒の貧困

東京都墨田区で建設中の東京スカイツリーの人気ぶりがメディアを賑わしている。既に高さは東京タワーを抜き、日本一となった。建設地周辺は大勢の見学者が集まり、観光スポットとなっている。しかし、社会を挙げてタワーの建設を応援するという雰囲気には日本社会の貧困さが感じられてならない。本記事では2点指摘する。
第1に高層タワーが景観を破壊するという批判的観点からの議論が、ほとんど取り上げられていないことである。パリの象徴になっているエッフェル塔も建設時は強烈な反対を受けていた。代表作に『女の一生』がある自然主義作家モーパッサンも反対運動家であった。パリ万国博覧会のために建設されたエッフェル塔が解体されなかった理由は、無線電波送信という軍事的価値があったためで、美観やデザインが評価された訳ではなかった。
東京スカイツリー建設地の墨田区は低層の木造住宅が多い地域である。また、江戸情緒を感じさせる都内有数の観光地・浅草(台東区)も近い。この点を踏まえれば、もう少し景観を大切にする議論があっても良い。
確かに浅草は明治時代に日本一の高層建築・凌雲閣(浅草十二階)が建設された先進地域であった。伝統を維持するだけの街ではなく、新旧の混在が街の魅力という考え方もある。しかし、凌雲閣も経営的には苦しく、関東大震災であっけなく倒壊した後は再建されなかった。先進地域だからこそ、高層建築のデメリットを認識することができる。高い建物で地域を活性化するという時代遅れの高度経済成長期的な価値観からいち早く脱却することも可能な筈である。
第2に過去の東京タワー建設と重ね合わせて、日本が輝いていたとされる時代の「栄光」の再来を願う幼児性退行現象が感じられることである。第1の点で指摘した景観意識が乏しい点も、東京タワーが高度経済成長期の「栄光」の象徴として無批判にインプットされてしまっている面がある。
この退行現象はスカイツリーに限らず、社会の各方面に及んでいる。昭和30年代の東京を舞台とした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』が人々の郷愁を誘い、ヒットした。また、東京の2016年夏季オリンピック招致活動がコンセンサスのないまま強引に進められた背景にも、1964年の東京五輪の「成功体験」という世代的幻想がある(林田力「東京都議会が東京五輪招致失敗検証で参考人招致」PJニュース2010年5月15日)。
http://news.livedoor.com/article/detail/4770823/
確かに現在の日本は解決困難な多くの課題に直面しており、高度成長期と比べて希望は持てない時代である。しかし、今日の問題の多くは高度成長に突き進む中で生み出されたものである。日本の問題は、焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むことしかできない発想が随所で行き詰まりを見せた結果である。
それ故に過去の「成功体験」にあやかるという発想は問題を深刻化させるだけである。たとえばワーキングプアに苦しむ就職氷河期世代に「モーレツに働けば何とかなるから頑張れ」と説教するようなもので、構造的な格差問題から遠ざける結果になる。
日本社会の閉塞観を打破するためには、高度成長期の「成功体験」が真に「成功」と呼べるものであったのか批判的に吟味しなければならない。その反省の一つが鳩山政権のキャッチフレーズ「コンクリートから人へ」である。鳩山政権の言行不一致は批判されているが、スカイツリーへの賞賛一辺倒になっている社会の側にも意識改革が求められる。

業平橋駅がスカイツリー駅に変わる寂寥感

東武伊勢崎線・業平橋駅が2012年春のスカイツリー開業に合わせて「とうきょうスカイツリー駅」に改称される。東武鉄道が2010年12月27日に発表した。東京スカイツリーの玄関駅としてアピールすることになるが、在原業平に由来する情緒溢れる駅名が消えることには寂寥感がある。
在原業平は『伊勢物語』の主人公とされる歌人である。この業平が東下りをして、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥我がおもふ人はありやなしやと」との歌を詠んだことは有名である。その歴史・文学情緒ある駅名がなくなってしまう。そこには電鉄会社のエゴが感じられてならない。
東京スカイツリーの最寄り駅には押上駅と業平橋駅がある。東京スカイツリーに最も近い駅は業平橋駅である。しかし、最寄り駅としては以下の理由から押上駅が注目されがちであった。
第一に東京スカイツリーの建設地は東京都墨田区押上であり、そこから押上駅を連想しやすい。
第二に押上駅には京成押上線・東武伊勢崎線・東京メトロ半蔵門線・都営浅草線の停車駅であり、業平橋駅よりもアクセスが良い。
押上駅は京成電鉄の本社所在地であり、京成のターミナル駅である。東武鉄道としては押上駅ばかりが注目されることは愉快ではない。歴史ある駅名を捨ててまで東武鉄道が駅名を変更する背景には、押上駅と比べて劣勢になっている東京スカイツリーの玄関駅としての認知度を高めたいという経営事情が考えられる。
駅名には電鉄会社のエゴが表れる。京成本線・京成関屋駅と東武伊勢崎線・牛田駅は近接するが、駅名は別である。近接地に業平橋駅と押上駅が並存していることも、あまり自然ではない。京成のお膝元の押上に負けたくないという動機が駅名変更にあるならば住民にとって不幸である。
そもそも東京スカイツリーを地域活性化の起爆剤にしたいとする発想が貧困である。東京スカイツリーは手放しで絶賛されるようなものではない。高層建築は歴史的に培われてきた下町の景観を破壊する(林田力「東京スカイツリー賞賛一辺倒の貧困」PJニュース2010年5月18日)。
http://news.livedoor.com/article/detail/4774913/
特定世代にとっては東京タワー建設に象徴された「高度経済成長期の輝きよ、もう一度」という心境であろう。しかし、高度経済成長期を美化して振り返る発想はサブカルの世界では既に克服されている。浦沢直樹の漫画『20世紀少年』では高度成長期に育った少年の妄想が実現した世界の不気味さを描いた。そこでは大阪万博に代表される「人類の調和と進歩」の価値観が間違った方向に進む出発点になっている。
また、アニメ『クレヨンしんちゃん』の映画で最高傑作との声も強い『嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』(2001年公開)では高度経済成長期を美化して郷愁に浸ることの危険性を描いた。そこでも科学の進歩が人間を幸福にすると考えられていた高度成長期のナイーブな価値観と決別し、家族の幸福という地に足ついた未来を歩もうとする。
たとえ特定世代にとっては甘酸っぱく心地良いものでも、別の世代には迷惑でしかない。『オトナ帝国の逆襲』での風間君の台詞「懐かしいって、そんなにいいことなのかなあ」が象徴する。東京スカイツリーに東京タワーを重ね合わせて夢を託すことは日本社会を一層閉塞させるだけである。
そして業平橋駅の変更は日本における開発の本性を象徴する。全国各地で開発反対の住民運動が起きている。都内だけでも二子玉川ライズや下北沢、外環道、築地市場移転など多くの問題を抱えている。沖縄の米軍普天間基地の辺野古への移設反対運動にも開発反対の側面がある。
開発反対の声に対しては進歩や発展を否定するのかという感情的な反発がある。もし開発が、それまでの地域や住民との調和の下になされるならば、上記の反発にも三分程度の理はある。
しかし、日本の開発は往々にして昔からのものを破壊して、別なものを作る不連続なものである。住民にとっては進歩でも発展でもなく、今までの住環境の破壊でしかない。住民は懐古趣味から再開発に反対している訳ではない。今の生活を守るために闘っている。歴史性ある駅名の変更は、開発の破壊的性格を象徴する。

銅御殿マンション問題で周辺住民や美術館が提訴

東京都文京区小石川にある重要無形文化財・銅(あかがね)御殿(旧磯野家住宅)が隣接地のマンション建設で破損する恐れがあるとして、周辺住民や所有者の美術館が2010年5月20日に提訴した。
銅御殿は1912年に竣工した木造3階建ての和風建築である。屋根と外壁が銅板葺き・銅板張りであることが名前の由来である。伝統的な木造建築の意匠・技法・構成、明治の大工の創意を融合させた近代和風木造建築の傑作の一つで、関東大震災や戦災をくぐり抜けた建物である。銅御殿を中心とする湯立坂は文化財と緑に覆われた都市景観を形成している。2005年に国の重要文化財に指定された。所有者は財団法人大谷美術館である。
この銅御殿の東側隣接地に野村不動産(施工:鹿島建設)が地上12階・地下2階の「(仮称)文京茗荷谷マンション」を建設中である。周辺住民や大谷美術館は反対したが、2009年6月に着工した。周辺住民らの主張するマンション建設による銅御殿への被害は主に以下の3点である。
第1にビル風である。マンション建設により、場所によっては現状の1.7倍以上のビル風が銅御殿の土庇に吹き付けるとの調査結果があり、土庇の破損が懸念される。
第2に地下水位低下による地盤沈下である。
第3に工事振動による被害である。既に掘削工事の振動によって、銅御殿の書院の壁・チリに大きな亀裂が生じたとする。
この問題は議会でも取り上げられた。東京都議会では2010年3月10日に小林健二議員が東京都景観条例に基づいて定められた「歴史的景観保全の指針」が不十分であると主張した。また、衆議院文部科学委員会では2010年4月16日に石田芳弘議員が「文化行政としては大変に憂慮にたえない」と指摘した。
周辺住民らが起こした訴訟は2つである。
第1に環境保全措置命令訴訟である。これは周辺地域住民9名が国(行政庁:文化庁)を訴えた訴訟である。この訴訟の請求は大きく2点ある。
1.文化庁長官がマンション建設について文化財保護法第43条第1項本文の許可手続を行う義務があることの確認を求める(公法上の確認訴訟)。
重要文化財の保存に影響を及ぼす行為については、文化庁長官の許可を取らなければならない(同法第43条第1項)。ところが、文化庁は銅御殿への影響は軽微であるとの通知を野村不動産に発し、許可対象としなかった。これは違法であり、文化庁には許可手続を行うべき義務があると主張する。
2.文化庁長官が野村不動産に対し、銅御殿に現状を超えるピーク風力計数をもたらす構造物を建設してはならないとの命令を求める(義務付け訴訟)。
文化庁長官は、文化財の保存のために必要な場合、一定の行為を制限・禁止する権限を有する(同法第45条第1項)。文化庁長官はマンション建設による銅御殿への風害を回避するために、野村不動産に対して命令すべき法的義務を有していると主張する。
第2に建築確認取消訴訟である。これは財団法人大谷美術館及び周辺地域住民8名が文京区及び財団法人住宅金融普及協会を訴えた訴訟である。この訴訟の請求は大きく3点ある。
1.住宅金融普及協会による「(仮称)文京茗荷谷マンション」の建築確認処分及び計画変更確認処分の取り消しを求める(取消訴訟)。
同マンションは、「土地の区画形質の変更」として都市計画法上の開発行為に該当するが、野村不動産は開発行為の許可を取得しておらず、また隣接する銅御殿への影響も配慮されていない。さらに地盤沈下調査も不十分である。従って、同マンションの建築確認・計画変更確認は違法であると主張する。
2.文京区が住宅金融普及協会に対し、同マンションが建築基準関係規定に適合しない旨の通知を発することを求める(義務付け訴訟)。
3.文京区が野村不動産及び鹿島建設に対し、同マンション建設工事を停止させる是正命令権限を行使することを求める(義務付け訴訟)。
上記2点の文京区への義務付け請求は特定行政庁の権限に基づくものである。特定行政庁は指定検査確認機関が違法な建築確認を行った場合、これを検査確認機関に通知すべき義務がある(建築基準法6条の2第11項)。また、特定行政庁は違法建築に対する是正命令の権限を有している(同法9条)。

初出:林田力「重要文化財の「銅御殿」が危機、マンション建設で。周辺住民や美術館が提訴=東京・文京」PJニュース2010年5月21日
http://news.livedoor.com/article/detail/4781451/
http://www.pjnews.net/news/794/20100520_9

「はり半」跡地の渓流改築許可無効を求めて提訴=兵庫・西宮

兵庫県西宮市甲陽園の老舗料亭「はり半」跡地ではマンション建設に伴い、敷地内を流れる渓流が埋め立てられ、西側の市道沿いに人工水路として付け替えられる。これに対し、近隣住民らが2010年5月30日に西宮市長による水路(渓流)改築許可の無効確認を求めて神戸地方裁判所に提訴した。
「はり半」は山荘形式の風雅な料理旅館であった。敷地内には自然渓流が流れ、沢蟹、ヤゴ、カワニナなどが生息する。水上勉や小林秀雄ら多くの著名人に愛されたが、2005年に廃業した。跡地では日本エスリードが232戸のマンションを建設する計画を進めている。この計画では敷地の90%余りの樹木が伐採される。渓流も埋め立てられ、3面コンクリート張りの水路に付け替えられる。
これに対し、近隣住民らは「はり半跡地開発問題対策委員会」を結成し、跡地の素晴らしい自然、住環境を次の世代に引き継ぐことを求めて活動している。住民らは「甲陽園の良さを保つには自然を壊さないことです」と主張する。跡地では2009年2月から工事がストップし、静かな日々が続いていたが、2010年4月19日から工事が再開し、近隣住民は騒音や埃で窓も開けられない生活を強いられている。
既に西宮市を被告とした開発許可の取り消しを求める訴訟が神戸地裁に係属中である。今回、新たに水路改築許可を争点とした訴訟を提起した。住民側の主張は以下の通りである。
西宮市は渓流の埋め立て及び人工水路の付け替えを西宮市は地方自治法の特例として、開発許可の手続きの中で許可した。しかし、これは地方自治法の特例としての「付け替え」事件には当たらず、行政処分の市長裁量権を濫用し、法律違反である。付け替えの重大性に考慮を払うことなく、安易に開発行為許可処分を行ったもので、市民に対する行政の背信行為である。
渓流は市民の大切な財産(行政財産)である。水路の付け替えは行政財産の処分に該当する。地方自治法第238条の4は「行政財産は、次項から第4項までに定めるものを除くほか、これを貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、出資の目的とし、若しくは信託し、又はこれに私権を設定することができない。」と定める。
西宮市の許可処分は、あくまでも都市計画法上の一排水施設としての機能にしか着目していない。渓流が有してきた貴重な歴史的・文化的価値への考慮を欠いている。景観利益や持続可能な自然生態系保護に対する検討・評価もなされていない。自然の渓流と人工水路は全く価値の異なる異質のものであり、これは地方自治法の特例として扱うべき「当然交換される」事案に該当せず、違法であり、その瑕疵は重大である。
結論として行政財産の処分違反(地方自治法238条4項)であり、裁量権の逸脱・濫用(行政事件訴訟法30条)に該当するとする。

羽澤ガーデン現場検証記念フォーラム=東京・港

「羽澤ガーデン現場検証・鑑定記念フォーラム&コンサート」が2011年2月5日14時から17時まで東京都港区の国際文化会館・岩崎小彌太記念ホールで開催される。主催は「羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会」である。
羽澤ガーデンは渋谷区広尾にある実業家・中村是公の旧屋敷である。大正期の和風建築を現代に伝える文化財であり、都心では稀有な緑地も提供する都会のオアシスとして親しまれてきた。ところが、この羽澤ガーデンを壊してマンションを建設する計画がある。近隣住民や文化人らは「羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会」を結成し、羽澤ガーデンの保存を求めて活動している。
渋谷区民らが開発許可や建築確認の差し止めなどを求めて東京都と渋谷区を提訴した訴訟も係属中である。2010年11月22日には裁判所による現場検証が行われた。フォーラムでは裁判所が撮影した写真や、現場検証に基づく専門家・文化人の鑑定作業の結果を紹介する。この鑑定結果は羽澤ガーデンの文化財としての価値を揺るぎないものとし、裁判の行方に決定的な影響を及ぼすことになると守る会側では位置づけている。
今回のイベントは二部構成で、第一部は「コンサート〜羽澤ガーデンが奏でる和洋の調べ」である。クリストファー遙盟・国際文化会館芸術監督の尺八と豊嶋めぐみ・セルビア国立ノヴィサド大准教授のヴァイオリンの演奏が行われる。
第二部は「鑑定発表フォーラム〜映像も語る羽澤ガーデンの文化」である。映像発表や前野まさる・鑑定専門委員会委員長(前日本イコモス委員会委員長)による鑑定結果報告が行われる。また、半藤一利、半藤末利子、加賀乙彦、黒井千次ら各氏がコメントする。
守る会では過去にもタイムリーなフォーラムを開催している。以下では2009年12月15日に同じく国際文化会館で開催された第2回フォーラム「坂路の雲〜漱石『満韓ところどころ』の百年」を紹介する。
「坂路の雲」は夏目漱石が親友の是公の招待で訪れた旧満州の旅行記「満韓ところどころ」を発表してから百年になることを記念する。折しも同年11月29日からNHKで司馬遼太郎原作のドラマ『坂の上の雲』が放送され、その歴史観の妥当性が議論されている。そこで羽澤ガーデンの所有者の是公と親友の漱石から日本の近代史を見つめ直す意味でフォーラムのタイトルを「坂路の雲」と名付けた。
フォーラムは三部構成である。第一部「シンポジウム〜 辻井喬氏を囲んで 〜」では最初に詩人の辻井喬氏が講演した。辻井氏は日本には「文学は政治から距離を置くべき」という発想があると指摘した。それが日本の文学を貧しくしている面がある。その空白を埋めて大勢の人に分かりやすい作品を書いた作家が司馬遼太郎である。その司馬が「軍国主義を鼓吹しているように誤解される」ために映像化を拒否した作品が『坂の上の雲』である。この『坂の上の雲』を最近になって映像化することは理解できないと述べた。
辻井氏は『坂の上の雲』によって「日露戦争の頃は前途に希望があった。坂の上に雲が輝いていた」というイメージが流布されることを疑問視する。それは「日露戦争の時は良かった。今の若者は何をやっているのか。あの時のようにならなければならない」ということに行き着きかねない。羽澤ガーデンの保存は懐かしさだけでなく、近現代史を再発見する手がかりにしていかならないと結んだ。
辻井氏の講演を受け、3人のパネリストが意見を述べた。
第一に歴史家の半藤一利氏である。半藤氏は『坂の上の雲』で明治時代を良い時代とする誤解が広がることへの懸念を表明した。日本は日露戦争に勝利していない。当時の日本には戦争を継続する能力はなく、アメリカに仲介を依頼して、何とか戦争を終わらせたことが実態である。
しかし、日露戦争に勝ったことにしたために、日本人は自惚れてしまい、アジアの人々を蔑視するようになった。この日本の実態を正しく認識しなければ破滅的な戦争に進んだことが理解できない。漱石の「満韓ところどころ」にも朝鮮人や中国人への差別意識はあるが、当時の一般の日本人の差別意識から見れば相当抑えられていたと指摘した。
第二に元最高裁判事の園部逸夫氏である。園部氏は羽澤の地名の由来を説明した。さらに自らの軍隊体験から非人間的な旧軍組織の実情を語った。
第三に作家の黒井千次氏である。黒井氏は「満韓ところどころ」は読みやすく面白いとする。漱石の言葉遣いは独特である。漢字を読めない政治家と異なり、知り過ぎているために漢字の使い方が奔放である。続けて黒井氏は中国や韓国の作家の動向を説明した上で、現実と文学の関わりについて「文学の方に課題が多いのではないか」と問題提起した。
第二部「トークオムニバス 私の是公と漱石」では是公の孫の有馬冨美子氏と漱石の孫の半藤末利子氏が祖父の貴重な逸話を語った。
有馬氏は「祖母(是公の妻)は几帳面で、是公の身なりをきちんとさせていた」と語る。漱石が「いつも身なりがきちんとしていいね」と言ったところ、是公は「よくないよ、汚すと怒られる」と答えたという。
半藤氏は「厳格で潔癖な漱石も是公には心を許し、是公からお金を借りたままでいることもあった」とする。是公は漱石の死後も漱石の家族を気にかけ、山鳥を毎年送ってくれたという。
第三部「講演 羽澤ガーデンの美の文脈」では羽澤ガーデンの保存について議論した。最初に斎藤驍弁護士から司会をバトンタッチされた福川裕一・千葉大学大学院教授が江戸時代からの羽澤ガーデンの周辺環境をスライドで紹介した。
前野まさる・東京芸術大学名誉教授は東京芸大赤レンガ1・2号館の保存活動を説明した上で、「文脈として大切なものは保存していかなければならない」と力説した。この場合、羽澤ガーデンの文脈が何かが問題になる。前野氏は「羽澤ガーデンは江戸の風景を背負っている」とし、「江戸から現代にかけての日本の都市のあり方を示したもの」と結論付けた。
前野氏の主張を承けて小畑晴治・日本開発構想研究所理事が羽澤ガーデンの持つ江戸の景観の価値を説明した。まず小畑氏はガーデンシティを田園都市と訳すことは誤りとし、ガーデンシティは江戸の町をモデルにしていると指摘した。幕末の英国駐日公使オールコックは緑と調和した江戸の町の美しさを絶賛した。同じく幕末の日本を訪れた英国の植物学者ロバート・フォーチュンは狭い路地でも庶民が園芸を楽しんでいることに驚いている。
このように江戸の景観美は海外からも高く評価されていた。しかし、明治政府は自らを美化するために江戸時代的な要素を否定すべきもの、劣ったものと逆喧伝した。そのために肝心の日本では江戸の美しさが忘れ去られてしまった。これからの都市には日本庭園的な発想が必要であるとまとめた。
続いて鞆の浦住民代表の松居秀子氏が住民運動の連携の意義を語った。画期的な差止判決を出した鞆の浦の住民運動には20年の歴史がある。その歴史の中で全国的に取り上げられるようになった時期は最近に過ぎない。同じように重要でありながら全国的なマスメディアから無視されている運動は数多い。過疎化を問題視する声があるが、これからは日本全体が過疎化していく。従って今から大都市の真似をして開発しても仕方がない。住民運動同士が手を携えて開発優先・住民運動軽視の傾向を変えていきたいと語った。
これを踏まえて、前野氏は江戸時代の港湾施設のある鞆の浦と武家屋敷の伝統を活かした羽澤ガーデンには江戸の景観という共通点があると指摘した。また、斎藤弁護士は公共事業差止訴訟で勝訴した鞆の浦と近隣住民による裁判や反対運動でマンション建設工事を停止させている羽澤ガーデンが手を結ぶことには大きな意義があると述べた。
歴史や文化・景観など多岐に渡ったフォーラムは羽澤ガーデンの重要文化財への指定を要望するステートメントを発表して幕を閉じた。今度の「現場検証・鑑定記念フォーラム&コンサート」でも興味深い議論が期待できる。

新築マンションからケヤキを守る住民運動=東京・府中

東京都府中市府中町で建設中の住友不動産の新築分譲マンション「シティハウス府中けやき通り」に対し、近隣住民らによる反対運動が起きている。シティハウス府中けやき通りの隣の建物には「府中のけやきを守る会」名義で「拝啓 住友不動産様 ケヤキは守れますか?」の横断幕が掲げられている。
大国魂神社の北側に伸びる馬場大門のケヤキ並木は国指定天然記念物であり、府中市のシンボル的存在である。読売新聞社が1994年に選定した「新・日本街路樹100景」にも入っている。
ケヤキ並木は歴史も古い。府中とは武蔵国の国府が置かれたことに由来するが、国府への街路には街路樹が植栽されていたという。平安時代には源頼義・義家父子が前九年の役の戦勝を祝して、苗木千本を寄付したと伝えられている。また、江戸時代に大阪の陣で戦勝した徳川家康はケヤキの両側に馬場を献納し、同時にケヤキ並木を補植したとされる。
馬場の土手に植えた苗木の抜き捨てを禁止した1667年(寛文7年)の制札が遺されていることが示すように江戸時代を通じてケヤキ並木の景観は守られてきた。ところが、最近では周囲の建物の高層化や排気ガスなどの影響で、年々状態が悪化している。そのために府中市でも、けやき並木通りの歩行者専用道路化などの検討に着手したところである。
このけやき並木通り沿いのスーパーマーケット跡地に住友不動産が地上12階建地下1階建て、総戸数140戸の大型マンションを建設中である。これに対し、近隣住民らはマンションが日照や風を遮り、ケヤキが枯れる恐れがあると懸念する。住民らは住民団体「府中のけやきを守る会」を結成し、建物の高さをケヤキと同じ約20メートルとするなど計画の見直しを住友不動産に求めている。
シティハウス府中けやき通りのウェブサイトでは「大空に向けておおらかに広がる樹形と森のような並木は、街の中心にふさわしい風格があります。」などとケヤキ並木をマンションのセールスポイントとしている。ケヤキ並木を破壊しかねない存在がケヤキ並木で商売することに住民の感情は複雑である。

東京都中央区立明石小学校解体をめぐる攻防

東京都の中央区立明石小学校では2010年8月10日から校舎の解体工事が進められている。明石小学校は関東大震災後の復興事業として建造された復興小学校の最古参に属し、1926年(大正15年)に竣工した。これまで現役の校舎として使われてきたが、新校舎に建て替えられる。しかし、卒業生、周辺住民、建設専門家には解体を惜しみ、歴史ある校舎の保存を望む声が強い。
関東大震災では東京市(当時)内の小学校の大半が焼失・倒壊した。そのため復興小学校では耐震性・不燃性の高い鉄筋コンクリートとした。震災の教訓を活かし、子供たちが快適かつ安全に学べるように、当時の先進技術を導入して施工した。最新の建築思想を導入し、デザインを工夫している。以下、指摘する。
第一に曲線の多用である。鉄筋コンクリートには無機的で冷たい四角い箱という印象がある。この印象は鉄筋コンクリートが現代ほど普及していなかった当時は一層強かった筈である。この点で明石小学校は曲線を使うことで優雅で柔らかい印象を与えている。これによって小学生の情操への好影響が期待できる。
たとえば窓と窓の間にはギリシア神殿の柱のような円柱がある。また、壁は上から下まで真っ直ぐではなく、屋上付近が張り出ている。これは雨水が壁に当たりにくくなり、建物の劣化を抑制するという機能的な意味もある。校舎入口の上部は西洋の城館のバルコニーのようになっている。キリスト教教会にあるような上部が円形の窓もある。これはドイツを中心とした表現主義の影響を受けたものである。
第二に校舎は校庭との関係で劇場型となっている。明石小学校の校舎は校庭を囲むコの字型で、校庭が中庭のようになっている。このため、運動会などの行事では校舎が観客席のようにもなる。戦後になると校舎は画一化され、南向きの細長い建物になった。これは南向き神話とも言うべき誤った固定観念に毒された結果である。
新築マンション販売時の消費者契約法違反(不利益事実不告知)が争われた東京地裁平成18年8月30日判決では北向きからの日照利益を認め、ようやく司法でも南向き神話脱却の動きが出てきた(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。この点で南向き神話に囚われていない明石小学校は先進的である。
第三に校庭への日照の確保である。校舎には三階建ての部分と二階建ての部分がある。一部を二階建てとすることで十分な日光が校庭に差し込むようにした。また、屋上も使えるようにフェンスが張られている。
第四に健康への配慮である。水洗便所を導入した。同じ棟に便所を配置したことは画期的である。
明石小学校の校舎には教育的な考慮もされていた。様々な特別教室や準備室を配置することで、従来の画一的で詰め込み型の教育スタイルから、子ども主体の教育体験を目指す教育界の新しい動きにも対応できるようにしていた。大正デモクラシーの風潮を背景とした新教育運動・大正自由教育運動は私学が有名であるが、公教育でも試行していたことを示す建物になる。
明石小学校は空襲を受けておらず、保存状態は良好である。日本の敗戦後にはGHQに接収されたという日本の近現代を体現した歴史を持つ。このように価値ある校舎に対し、保存を求める動きも活発である。
日本建築学会は7月9日付で「東京都中央区に現存する復興小学校7校舎の保存要望書」を中央区長などに送付して、保存を求めた。そこでは以下のように明石小学校を重要文化財相当と評価する。
「明石小学校は、昭和初期に鉄筋コンクリート造で建設された「震災復興建築」を代表する貴重な現存遺構であるとともに、日本近代の小学校建築の原型としても位置づけられることから、重要文化財建造物にふさわしい価値(意匠的に優秀なもの、歴史的に価値の高いもの)を備えていると考えられる。」
しかし、中央区は以下のように述べて、要望を拒否した。
「改築計画は、地元の要望を踏まえて、老朽化への対応や機能アップによる子どもたちの教育環境の向上はもとより、防災拠点など地域の核となる学校施設の充実を図るものであり、計画自体を変更するつもりはありません。」(矢田美英・中央区長「復興小学校7校舎の保存要望書に対する回答について」2010年7月14日)
これに対し、建築学会は改めて保存を要望した。
「特に明石小学校については、記録保存や部材保存にとどまることなく、重要文化財建造物に見合う保存・活用方策をご決断くださいますよう重ねて要望いたします。」(「本会の保存要望書に対する回答に対する見解」2010年7月21日)
このように建築学会と中央区は真っ向から対立するが、7月15日の中央区議会区民文教委員会では以下のように説明された。
「建築学会として記録を残しておくことと、改築の中で一部保存活用可能な部材を残す工夫をすることを双方で確認」
これに対し、建築学会は事実と異なるとして、公式かつ速やかな訂正・公表を求めた(「本会提出の「中央区に現存する復興小学校7校舎の保存要望書」に関する中央区議会文教委員会の議事内容に対する本会の見解」2010年8月16日)。
東京建築士会や建築家協会も保存を求めている。しかし、中央区は建築専門家や市民の声に耳を傾けることなく、8月10日に解体工事を開始した。8月12日から16日まではお盆休みで、17日から工事を再開した。最初に内部の配管の撤去の作業、正門前の歩道の切り下げから取りかかる。
この17日に市民団体・中央区立明石小学校の保存を望む会は中央区への署名提出及び明石小学校前での抗議行動を実施した。望む会は明石小学校卒業生や近隣住民、建築家などによる団体で、明石小学校の校舎保存を求めている。
望む会では中央区が十分な説明なく解体工事を進めていることを問題視する。街の宝、東京の宝というべき建物を中央区が率先して壊すことはない。校舎を保存して、日本初の重要文化財の現役小学校を目指すべきである。校舎の耐震性は問題ない。日本橋高島屋のように重要文化財になることと使い続けることは両立する。歴史ある校舎で学ぶことは、豊かな人格形成につながる。震災の教訓が隅々まで活かされた建物は防災教育にも最適である。それが「教育の中央区」の方向性に合致する。
リノベーション(保存再生)ならば費用は安く、期間も短期で済む。適切な維持管理によって100年でも使い続けることが可能である。それを検討しないまま壊してしまうことは乱暴である。壊してしまったならば台無しになる。立ち止まって考えるべきと主張する。
17日は望む会の呼びかけにより、中央区役所に20名くらいが集まり、区役所に追加署名を提出した。署名数は今回の追加分が520名、累計4237名である。区役所側の対応は非友好的であった。約20名全員で署名の提出に行こうとすると、「(提出に行く人数を)半分くらいにしていただけますか?」と要求し、失笑が起きた。
また、要望書について検討した上での回答を求めたが、「改築を進めさせていただきます」の一点張りであった。これには支援者から「住民の声には耳を傾けないということですか」と抗議の声が出た。また、質問には「今日は署名を受け取るだけ」とし、回答を拒否した。
署名提出後は区役所玄関前で経緯などを改めて支援者に説明した。その後は明石小学校まで徒歩で移動し、玄関前で校舎の保存をアピールした。抗議活動では以下のような文言の書かれたパネルを掲げ、ビラを配布するなどで通行者の関心を集めた。
「明石小学校 重要文化財相当」
「STOP明石小解体」
「壊すのはもったいない」
近隣住民からは「もったいない」などの声が寄せられ、新たな署名も集まっていた。
校舎解体工事が2010年8月24日から本格化した。校舎の顔とも言うべき正面玄関部分躯体1〜3階を工事車両通行用に先行解体する。この24日にも望む会のメンバーらは正門前で抗議行動を行った。この日は午前中に正門防音壁の設置を完了する予定であったが、中央区議らによる正門の座り込みによって、中断を余儀なくさせた。
建築家の日色真帆氏は記録保存するとの中央区の姿勢も疑問視した。記録保存には、それなりの期間が必要である。現在の解体ペースで本当に記録保存するのか疑問である。
明石小学校周辺は明石町と呼ばれ、明治時代に外国人居留地だった場所である。今でも聖路加国際病院やカトリック築地協会など西欧文化が濃厚である。立教学院や明治学院大学、女子聖学院というキリスト教系学園の発祥地にもなっている。明石小学校の校舎は、その明石町の歴史と文化に相応しいデザインである。角度によっては校舎の後ろに聖路加国際病院のチャペルの尖塔を見ることができるが、景観として調和している。
中央区教育委員会発行の「中央区文化財めぐり」によると、明石小学校周辺には様々な史跡・文化財が集中している。指紋研究発祥の地、慶應義塾発祥の地、芥川龍之介生誕の地、浅野内匠頭邸跡などである。そこに重要文化財として明石小学校が加わることは中央区にとって名誉と考えるべきである。