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『東急不動産だまし売り裁判』江東区政

明治安田生命新東陽町ビル建設に反対運動=東京・江東

明治安田生命保険が建設する明治安田生命新東陽町ビルに建設反対運動が起きている。問題のビルは東京都江東区東陽2丁目に建設中で、地上11階地下1階建て、延べ床面積9万6000平米の巨大なビルである。施工は竹中工務店である。
明治安田生命は近隣エリアに分散している自社グループのオフィスを新東陽町ビルに集約する方針とする。建設地は東京メトロ東西線東陽町駅の近くで、ゴルフ練習場のゴルフガーデン東陽が2009年6月30日まで営業していた。
新東陽町ビル建設に対し、建設地の北側に位置するマンション・パイロットハウス東陽町住民を中心に反対運動が起きている。パイロットハウス東陽町には「『弱者の声』明治安田生命ビルがこのまま完成したら、私の部屋には『日が差さない』」と書かれた巨大掲示板や垂れ幕が設置されている。
掲示板には「本掲示板に悪戯、破損等の危害があった場合は、警察に通報し法廷措置を講じます。」とも記載されている。これは反対運動の看板が破壊されるなど卑劣な攻撃に遭う現実を踏まえたものである。実際、東急不動産らが神奈川県平塚市で分譲したマンション・湘南袖ヶ浜レジデンスにも建設反対運動が起きたが、反対運動の幟旗6本が2005年9月28日未明に破壊された事件が起きた。
住民らは江東区議会に「明治安田生命新東陽町ビル新築工事の見直しについての陳情」を提出するなど広範囲に活動している。住民らは新東陽町ビルが自社の利益のみを優先した設計であると批判する。「公共の福祉の増進に資することを目的とする」と定めた建築基準法第1条にも反している。
新東陽町ビルは近隣住民の住環境を破壊する。パイロットハウス東陽町は一年中ほとんど陽が射さなくなる住戸も出る。住民がベランダに出ても空はない。これに対して、新東陽町ビルは近隣住民の住環境を犠牲にすることで、光溢れる快適な職場環境を享受する。これは明治安田生命が自ら掲げる行動規範「地域社会への貢献と環境への配慮」に反していると主張する。

深川八中前歩道橋が横断歩道に=東京・江東

東京都江東区塩浜の江東区立深川第八中学校(深川八中)前の歩道橋が撤去され、横断歩道になる。
現地は中学校前という歩行者の多い場所であるにも関わらず、歩道橋だけで横断歩道がない場所があった。特に深川八中では江東区内の中学校で唯一日本語クラブがある。これは外国人生徒が日本語を中心に学習する場所で、遠方からの通学者もいる。
歩道橋を渡らなければならないことは歩行者にとって不便である。特に自転車利用者や車椅子の人、乳母車を押している人は困る。歩道橋を使わずに道路を渡る人も少なくなく、危険な状態であった。そのために住民や町会が深川警察署や江東区に設置を長年要望していた。工事は10月中旬に始まり、翌年1月に完了する予定である。
江東区は大手町や銀座にも自転車で行ける場所にあり、坂道も少ない。そのために自家用車不要のエコな生活ができる環境にある。しかし、車優先で道路が作られている点が難点である。自転車で走っていると歩道が突然行き止まりになり、歩道橋しかない場所も多い。そのために、道路を渡ることに苦労する。
これは工業地帯であったことに由来する。住人は少なく、歩行者を考える必要が少なかった。そのために車優先の道路整備となった。それが住宅地として発展しているために各所で矛盾が顕在化している。そのような場所が一つ減少したことは喜ばしい。
何よりも毎日通学する中学生にとって便利になる。私の通っていた中学校では近くの道路には横断歩道と歩道橋があった。この道路について、横断歩道を渡ってはならず、歩道橋を使わなければならないという変な規則があった。
生徒の安全が名目だが、自らの惨めな人生を穴埋めするためか生徒に無意味な苦労をさせることが教育であるという勘違いした発想が日本には存在する。それでも最近は平等主義教育など子どもの痛みに配慮するようになった(林田力「平等主義教育で人間らしく優しい社会に」PJニュース2010年5月26日)。
ここでも生徒の利便性を追求する選択がなされたことは喜ばしい。

洲崎橋の狭い歩道に拡幅要望=東京・江東

東京都江東区東陽一丁目の洲崎橋が狭くて危険なため、地元住民から歩道の拡幅の声が上がっている。
東陽一丁目は洲崎遊郭があった場所である。遊郭とは「くるわ」と呼ばれるように囲われた区画である。洲崎遊郭も四方を川や運河、海に囲まれた場所であった。それが仇となって東京大空襲では多数の死者を出している。
遊郭の中央の入口を大門と呼ぶ。二大遊郭の吉原大門と洲崎大門をつなぐ大通りが大門通りで、親不孝通りの別名がある。洲崎遊郭の北側には洲崎川が流れており、大門通りから洲崎川を渡って、遊郭に入った。洲崎川は戦後に埋め立てられ、洲崎川緑道公園となった。桜並木で有名で、緑道公園は春には花見のスポットになる。
大門通りの洲崎川を渡る部分は、川の埋め立て後も洲崎橋と呼ばれている。この洲崎橋の西側の歩道部分が問題である。橋の構造が残っているため、中央部が高くなっている。洲崎橋を渡る場合、坂を上って、下りなければならない。この洲崎橋から東陽一丁目に入る所では急な坂道になっているだけでなく、カーブになり、歩道も狭まっている。歩行者や自転車、車椅子が、すれ違いに接触・衝突しそうになり、危険との声が出ている。
地元住民の声を受けて、斉藤信行・江東区議会議員(日本共産党)は12月12日に住民らと現場を調査した。斉藤区議は歩道脇の旧洲崎交番跡地を活用すれば歩道を拡幅が可能と説明し、江東区に拡幅を要請した。これに対し、区側は「来年度予算で検討します」と回答したという。
斉藤区議と東陽一丁目の関係は深い。事務所が東陽一丁目にあるが、その建物は遊郭で使われていたものを、そのまま利用している。「大賀楼」の建物で、屋号の「大賀」も建物に掲示されたままである。かつて洲崎遊郭があった名残を今に伝える貴重な建物である。
この東陽一丁目の南に位置する塩浜の江東区立深川第八中学校前では住民の要望で歩道橋を撤去して横断歩道にする工事が進行中である(林田力「歩道橋が横断歩道に、人に優しく=東京・江東の深川八中前」PJニュース2010年10月5日)。この実現にも斉藤区議は尽力していた。
洲崎橋の東側歩道脇にもスペースがある。そこには「皇太子殿下御降誕記念」の石碑と右翼団体が建てたとされる黄色い看板がある。石碑は洲崎三業組合のもので、三業組合とは花街の同業者組合を指す。昭和九年十二月吉日とあるため、今上天皇(明仁)の誕生記念の石碑である。今上天皇は1933年(昭和8年)12月23日に生まれており、石碑建立日との丸1年の時間差が興味深い。
東陽一丁目の北に位置する東陽三丁目でも東陽三丁目町会が現在の沢海橋第二児童遊園内に皇太子殿下御降誕記念の石碑を建てているが、こちらも昭和9年12月である。「あちらがやるから、こちらもやらなければならない」的な世間の雰囲気に流される時代状況が感じられる。
洲崎橋の東側歩道脇で石碑以上に自己主張しているものが黄色い看板である。看板には「誇りと憤りを忘れた国には固有の領土は還ってこない」とあり、北方領土や竹島、尖閣の地図が掲載されている。日本が実効支配し、「領土問題はない」を建前とする尖閣諸島を北方領土や竹島と同列に並べる看板の自爆ぶりが香ばしい。看板には右翼に対する反感を述べた落書きもされている。
一般に右翼は尊皇思想とされるが、皇太子誕生記念の石碑の隣に、それよりも目立つ形で政治的主張を掲示することが尊皇になるのか疑問である。日本の右派は社会に不満を抱く人々の気持ちを利用して切り捨てる(林田力「ネット右翼は東京都青少年健全育成条例で目を覚ませ」PJニュース2010年12月20日)。それどころか、右翼は皇室さえも自らの政治的主張や権力欲を貫くために利用しているのではないだろうか。
http://news.livedoor.com/article/detail/5219494/
地元住民の要望を実現するために奔走する左派政治家と、お構いなしに政治的状況をデカデカと掲示する右翼の傍若無人ぶりが対照的な洲崎橋の状況である。

第40回赤旗まつり開催=東京・江東

第40回赤旗まつりが2010年11月6日・7日に東京都江東区の夢の島公園で開催された。好天に恵まれ、大勢の人で賑わった。
赤旗まつりは日本共産党が主催するイベントである。2006年に開催された第39回赤旗まつりから4年ぶりの開催になる。会場の夢の島公園に接する明治通りには何台もの貸し切りバスが並び、全国各地から集まっていることをうかがわせる。会場周辺には右翼の抗議行動を警戒する警察官の姿も目に付いた。
赤旗まつりは志位和夫委員長の記念演説や戦前の正当ビラなどを展示する日本共産党展など日本共産党を知ってもらう企画が中心である。一方で歌手のペギー葉山やジャズ・ヴァイオリニストの寺井尚子のステージ、三遊亭円丈の寄席などエンターテイメント色のある企画も多い。また、うたごえ喫茶やフットサル大会、高校生しゃべり場、人形劇など老若男女が楽しめるイベントになっている。さらに北海道の日高昆布や沖縄の泡盛など全国各地の物産を販売する模擬店が並び、文字通り祭りの雰囲気であった。
志位委員長は7日に記念演説「政党の値打ちは何によってはかられるか」で、民主党と自民党の二大政党の問題点などを指摘した。志位委員長は政党の評価基準として、「どのような綱領を持っているか」という点を強調した。
民主党は綱領を持っていない。自公政権退陣の世論に押されて政権を獲得したものの、普天間問題でも消費税増税でも自民党と瓜二つである。その根本には政治の現状を変える綱領を持っていないという問題がある。
一方、自民党は野党転落後に「平成22年綱領」を定めたが、その内容は「日本らしい日本」など中身がない。実は自民党には裏の綱領がある。本当の綱領は対米従属、大企業中心である。恥ずかしくて公然と掲げることができない。
結局、二大政党の一方は綱領がなく、他方は恥ずかしくて掲げられない綱領である。このような勢力に政治を託することはできない。これに対して、日本共産党は半世紀前から「国民が主人公」で一貫していると主張した。

斉藤信行区議が事務所開き=東京・江東

2011年4月に投開票される江東区議会議員選挙への立候補を表明している斉藤信行・江東区議会議員(日本共産党)が2011年3月13日に江東区東陽で事務所開きを行った。
事務所開きは以前から予定されていたものだが、東北地方太平洋沖地震直後であるため、簡素なものとなった。斉藤区議も防災服で登場した。集まった支持者の中でも地震で家の中がメチャクチャになった人や、遠方から歩いての帰宅を余儀なくされた人もいた。事務所では義捐金の募金も受け付けている。
斉藤区議の事務所のある江東区東陽一丁目は洲崎遊郭があった場所である(林田力「洲崎橋の狭い歩道に拡幅要望=東京・江東」PJニュース2010年12月26日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101225_2
現在は住宅地が広がり、幾つかの建物が遊郭の面影を残すのみである。その数少ない建物の一つが斉藤区議の事務所で、洲崎遊郭の中でも有名店であった「大賀楼」建物を使用している。建物は今でも「大賀」の屋号が掲示されている。
事務所開きにはあぜ上三和子・東京都会議員、小池晃・東京都知事候補、吉田年男・江東区長候補がメッセージを寄せた。小池氏は「東京が変われば日本が変わる」とし、福祉都市東京をつくると述べた。吉田氏は斉藤候補と一緒に命と暮らしを守る区政を目指すと述べた。
斉藤区議の決意表明も地震の話題になった。斉藤区議は避難所となった区内の学校を見て回ったという。揺れが怖くて帰宅できない周辺住民や帰宅難民などが一夜を過ごした。そこでは毛布が足りないことが発覚し、市役所に掛け合った。この地震を踏まえて防災対策を抜本的に見直さなければならない。一つ誇れる点は長年求めていた学校の体育館の耐震補強が実現しており、安心な避難所になったことである。様々な人の意見を聞きながら、防災対策を強化し、安心・安全な街づくりを実現したいと述べた。最後は配布された麦茶で乾杯して散会した。

東京都江東区議会議員選挙が告示

統一地方選挙の後半戦が2011年4月17日に告示された。東京都江東区では区長選挙と区議会議員選挙が告示され、各候補が選挙戦を開始した。投票日は24日である。
東日本大震災直後のために自粛ムードが強かった前半戦に比べて、今回は選挙カーが走り回り、従来に近い選挙活動が展開された。江東区には多くの鉄道路線が走っているものの、人の流れのコアになるターミナル駅が乏しい。そのために他の地区以上に駅頭での演説よりも選挙カーの比重が大きくなる傾向がある。
現職区議で日本共産党公認の斉藤信行候補は東陽一丁目の事務所前で第一声を発した。最初に選対本部長が挨拶し、前半戦の東京都知事選挙を総括した。都知事選挙は自粛傾向が強かったが、それでも実績や公約を示す中で反応が出たという。
続いて挨拶した斉藤候補は区議としての取り組みを説明した。東京メトロ東西線・東陽町駅の安全対策や都バス路線の新設、深川第八中学校前の横断歩道設置、小中学校の耐震補強工事などである。最後の深川八中前の横断歩道設置は長年の住民の要望が実現したものである(林田力「歩道橋が横断歩道に、人に優しく= 東京・江東の深川八中前」PJニュース2010年10月5日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101004_5
続いて斉藤候補は自らの政策を説明した。
第一に東日本大震災の被災地の救援と復興である。日本共産党は募金活動を行い、斉藤候補も東陽町駅前などで募金を集めた。集められた5億円もの募金は第1次分として被災自治体に届けられた。
第二に防災計画の抜本的な見直しである。学校の耐震補強工事は進められたが、公共施設は不十分である。また、江東区は橋が多く、橋の耐震補強工事も必要である。地震発生時には江東区の避難所にも避難してきたが、備蓄物資の不足が判明した。毛布や水が不足している。今回は断水しなかったため、水の不足は問題にならなかったが、断水した場合は大変である。
第三にエネルギー政策の転換である。福島第一原発事故によって原発の危険性が具体化した。以前から共産党は危険性を主張しており、福島第一原発事故は人災である。日本国内の全ての原発を総点検し、自然エネルギーなどに転換していく。
第四に福祉に強い街作りである。認可保育園や特養老人ホームを増やす。また、都立墨東病院は東京都直営のまま存続させる。東陽町駅から昭和大学病院ができる豊洲駅、癌研有明病院を結ぶ都バス路線の新設を目指すと述べた。

江東区、定額給付金に合わせて商品券販売

東京都江東区は定額給付金の配布に合わせて江東区内共通商品券を発売する。10パーセントのプレミアム付きの商品券である。500円券22枚を1セットとする1万1千円分の商品券を1万円で購入できる。商品券は1世帯3セットまで購入可能である。
江東区では2009年3月16日から各世帯に定額給付金の申請書を送付している。その中に商品券の購入券も同封した。商品券は4月24日・26日・5月22日・24日に江東区文化センターなど区内各地の文化センターで販売する。その際に上記の購入券を提出する仕組みである。
商品券は区商店街振興組合連合会加盟の個人商店に加え、区が子育て世帯や高齢者らに発行している「江東さざんかカード」の協賛店でも使用できる。商品券の有効期間は12月31日までであるため、年内に使い切る必要がある。
定額給付金に対しては目的も効果も不明確な人気取りのためのバラマキであるとの批判が根強い。それは麻生太郎首相の一貫性のなさが裏付けている。麻生首相は高額所得者が定額給付金をもらうのは「さもしい」と辞退を求めておきながら、最終的には消費刺激に「私も参加する」と受け取る意向を示した。麻生首相は生活支援から消費拡大に定額給付金の目的が変わったためと説明する。しかし、当初の目的が変更されたにもかかわらず、政策を見直すことなく強行することが問題である。
一方、地元商店街でしか使用できない商品券発売は明らかに地元商店街のテコ入れ策であり、目的も効果も露骨なほど明確である。消費者よりも個人商店経営者を向いた政策である。その当否については大いに議論されるべきであるとしても、あやふやな目的を状況に応じて使い分けて何とか正当化しようとする定額給付金に比べると、清々しく感じられるほどの地元商店街優遇策になっている。(林田力)

江東区の地域ネタ

江東区東陽で納涼盆踊り大会

町会の手作りイベント

東京都江東区では東陽一丁目町会が2008年8月2日及び3日の2日間、「こどもの広場」にて毎年恒例の納涼盆踊り大会を開催した。幸いなことに両日とも好天に恵まれ、大勢の人で盛り上がった。
会場の中心には櫓が建てられ、ご当地物の「深川音頭」や子ども向けの「アラレちゃん音頭」がかけられた。櫓を中心に取り付けられた多数の提灯が会場の四方に延び、日没後は幻想的な雰囲気となる。それぞれの提灯には提供者の地元企業の社名などが書かれている。
大勢の参加者が来るために会場の前の道路は自動車通行止めにした。周囲にはテントが並び、焼きそばやソースせんべい、ジュース、ビールなどが販売された上、輪投げも行われ、お祭りの雰囲気を醸し出していた。
下町の雰囲気を残す江東区では町会活動も活発である。特に東陽一丁目は元々、洲崎パラダイス(洲崎遊郭)があった場所である。歓楽街として隆盛を誇った時代からの蓄積があり、町会も活発である。盆踊り大会も町会の手作りのイベントで、出店された模擬店も基本的に町会役員が運営している。
最後に記者と東陽一丁目町会の関係を説明する。記者は過去に町会役員(幹事)を務めていた。記者と町会の関係は東急不動産とのマンション裁判に遡る。記者は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から購入した新築分譲マンションのだまし売り被害に遭い、東急不動産と裁判をした(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』)。
だまし売りの真相を明らかにする一環として、マンション建設時の事情を町会役員の方にうかがったことが町会との関係の端緒である。それまでマンション住民と町会の関係は疎遠であったが、これを契機に記者が町会役員になった。裁判を有利に進める情報を教えてくれた町会役員に感謝すると共に町会の発展を祈念したい。

深川八幡祭り開催、3年に一度の本祭り

江東区門前仲町にある富岡八幡宮の深川八幡祭り(富岡八幡宮例大祭)が2008年8月13日から17日にかけて開催された。2008年は3年に一度の本祭りにあたる。日枝神社の山王祭や神田明神の神田祭とともに江戸三大祭の一つである。
8月16日は神幸祭鳳輦渡御(しんこうさいほうれんとぎょ)が行われた。御鳳輦が各町内を渡御し、各町内に設けられた神酒所では舞姫が神楽舞を奉奏する。この日は、子ども神輿や山車が町内を巡幸した。記者(=林田)の家の前も通過した。町内のどこかしこを通っており、家にいても掛け声や笛の音が聞こえるほど賑やかである。
8月17日はメインイベントと言うべき神輿連合渡御が行われた。大神輿55基が勢揃いして連合渡御する。氏子である各町会の54基の神輿に加え、今回は奥州平泉(岩手県平泉市)の神輿も参加した。氏子は深川界隈(門前仲町、木場、清澄白河)のみならず、枝川や豊洲、さらには中央区の新川、箱崎にまで広がっている。
連合渡御の朝は早い。担ぎ手は午前5時半に神酒所に集合し、神輿を担いで富岡八幡宮まで移動する。出発の花火を合図に連合渡御が始まる。永代通りを東進し、江東区西部を回って隅田川を渡り、中央区を南下して戻る約8キロメートルの行程である。
掛け声は「ワッショイ、ワッショイ」という伝統的なもので、担ぎ手は沿道から清めの水を浴びせられ、担ぎ手と観衆が一体となって盛り上がる。水掛けは活発に行われ、別名「水掛け祭」と呼ばれるほどである。
今年は一時的に強い雨が降ったり、17日は肌寒かったりと天気に恵まれた訳ではないが、祭りの活気に地域の伝統を維持する下町の活力を実感した。
前回の本祭りが行われた2005年は記者が購入したマンションの売買代金返還を求めて東急不動産を提訴した年であった(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』)。
記者にとって東急不動産との裁判が地域との関係を深める契機になったとはいえ、当時は裁判中で祭りを楽しむというよりも勝訴を祈願する念が強かった。そのお蔭もあってか、一審では勝訴判決、控訴審では実質勝訴の訴訟上の和解、和解成立後の紛争でも主張を貫くことができた。心から祭りを楽しめる状況に感謝したい。

東陽一丁目町会が町会会館建設へ=東京・江東

東京都江東区にある東陽一丁目町会が2011年夏頃までに町会会館を建設すると発表した。東陽一丁目町会は約1500世帯、約3000人を抱える比較的大規模な町会である。東陽一丁目は江東区の中央部分、東京メトロ東西線木場駅と東陽町駅の中間地点に位置する。
かつては洲崎弁天町と呼ばれ、遊郭で賑わった時代もある。東京大空襲で甚大な被害を受けたが、戦後は洲崎パラダイスとして復興した。現在も当時を髣髴とさせる建物が残っている。歓楽街の名残からか、現在でも町会活動は活発である。町会会館建設の道筋をつけるためには2008年頃からの長い道のりがあった。
町会では町内にあるホテルの敷地を借りて、お祭りの神輿などを保管していた。しかし、ホテルの経営者が変わった関係で継続使用が困難になり、新たに倉庫用地を取得することにした。ところが任意団体のままでは土地を登記することはできない。そこで町会名義で登記できるように法人格の取得が課題となった。
地方自治法第260条の2第1項は地縁による団体が市町村長(東京都区部は特別区長)の認可を受けた場合に法人格が認められる。認可を受けるためには幾つかの書類が必要になるが、その中でハードルが高いのは構成員名簿である。町会の構成員(町内の住民)の氏名と住所が書かれたものであるが、全住民の過半数の書名が必要とされる。この住民には生まれたての赤ちゃんから高齢者までの全てで、外国人も含まれる。
認可地縁団体は「一定の区域に住所を有する者の地縁に基づいて形成された団体」であるため、従前の東陽一丁目町会とは会員の範囲が異なる。相違点は大きく2点ある。
第一に現行町会は世帯単位であるが、法人化されると個人が会員となる。
第二に住民の団体であるため、商店などの非居住者は会員になれない。但し、東陽一丁目町会としては賛助会員として残ってもらう方針である。
東陽一丁目町会では2008年9月7日に臨時総会を開催し、法人化の方針を決定した。構成員名簿を作成するためには住民の過半数の協力が必要であり、町会では町会報などで広く協力を呼びかけた。
その後、東陽区民館にて開催された平成21年度定時総会において、法人となるための会則案が承認された。新会則は旧会則に比べて民主的になった。本記事では二点指摘する。
第一に旧会則では総会は幹事以上の役職者を議決権者としていたが、新会則では一般会員(住民)を議決権者とする。
第二に新会則では会長を総会で選出することとした。副会長などの役員も会長が推挙し、総会の承認を得ることとした。
また、新会則では制度上のチェック機能も充実させた。新会則では監事を新設し、旧会則の役職・会計監査を廃止した。旧会計監査の職務は会計の監査に限定されていたが、監事には事業の監査を含まれる。一方、監事は役員会の構成機関にはならず、執行機関と分離させた。
法人化の目的は倉庫用地を所有し、町会名義で登記することである。任意団体では不動産登記ができないという制度的な制約を回避するための法人化であるが、法人格が認められるためには民主的な運営がされている必要があり、会則の変更となった。
総会では住民から様々な質問や意見が出された。その中で町会費を支払っているのに会員として名簿に登録されていない住民が数百名も存在することが判明した。マンション住民で管理会社が町会費を管理費に含めて徴収しているが、住民の名簿登録をしていないケースである。
記者も東陽一丁目にある東急不動産(販売代理:東急リバブル)の新築マンションに居住していたが、同じ状況であった。マンション建設時に東急不動産の子会社の管理会社・東急コミュニティーと町会の間でマンション住民から町会役員を出すという約束になっていた。しかし、東急コミュニティーは町会との約束を反故にしてマンション住民に伝えなかった。そのため、マンション住民は町会費を払うだけで町会活動には参加できなかった。
たまたま記者が町会役員と話をしたことで真相が発覚した。東急コミュニティーだけでなく、東急不動産も購入者にも不利益事実(隣地建て替え)を隠して新築マンションをだまし売りしており、記者は消費者契約法に基づき売買契約を取り消して転居した(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。
法人化した町会では2010年1月に町会会館建設用地(約125平米)を購入し、1月20日に登記を完了した。3月に15名構成の町会会館建設委員会を立ち上げ、会合を重ねている。現時点で判明している計画では会館は鉄骨造2階建てで、1階を倉庫、2階を事務所・多目的ルームとする。延べ床面積は約110平米である。建設費用には融資や神輿修理積立金の転用の加え、会員からの寄付も求める予定である。

SUNAMOとアリオ北砂の砂町SC戦争=東京・江東

東京都江東区の砂町地区に近年相次いで開業した大型商業複合施設(SC)を分析する。砂町地区北部の北砂には古くから下町情緒溢れる商店街・砂町銀座が栄えていた。砂町銀座はテレビ番組にも取り上げられ、知名度は高い。また、南部の南砂にはジャスコやDIYセンター・ドイトを核店舗とするトピレックプラザがある。
その後、2008年10月9日に「南砂町ショッピングセンター SUNAMO(スナモ)」、2010年6月4日に開業した。SUNAMOはイオン、アリオ北砂はイトーヨーカドーと流通業界で激しく競争する両雄を核店舗とする。両商業施設の登場により、砂町地区はショッピングセンターの激戦区になった。
SUNAMOは東京メトロ東西線南砂駅付近の江東区新砂3丁目に立地する。建物は地上7階建てで、店舗部分は4階までである。5階以上は駐車場になっている。SUNAMOはスーパーのイオンや家電専門店のコジマら7つの大型店と約100の専門店が入る。
フードコートには「佐世保バーガー LOG KIT」や「富士宮焼きそば 本 清水商店」などユニークな店舗が並ぶ。三菱地所株式会社が開発し、アクアシティお台場などの実績がある三菱地所リテールマネジメント株式会社が運営する。
SUNAMOという名称は南砂町の川風に揺らぐ美しい砂面(すなも)をイメージし、「砂町」「モール」「SUN(太陽)」「AMUR(愛)」を複合したという。首都圏の私鉄共通ICカード「パスモ」や横浜の商業施設「港北みなも」を連想させる語感でもある。「も」で終わらせると柔らかい感じがする。シンボルマークは平仮名の「すなも」を落款風にしたユニークなもので、一般の商業施設との差別化に努めている。
但し、砂町だから砂面(すなも)とする点は安直な感がある。砂町という地名は、江戸時代の開拓者・砂村新左衛門に由来する。この地に砂が多いとか、砂を使って埋め立てられたという歴史があるわけではない。
これに対し、アリオ北砂はイトーヨーカドー北砂店を核店舗に100以上の専門店で構成される。アリオはイトーヨーカ堂が開発・運営するショッピングセンターのブランドで、アリオ亀有やアリオ西新井など各地に存在する。アリオ北砂は小名木川貨物操車場跡地再開発の目玉として開業した。
SUNAMOもアリオ北砂も開業直後に大勢の人で賑わった点は同じである。敷地の外から行列でスタッフが誘導するほどの混雑で、駐輪や駐車するだけでも一苦労であった。各店舗で様々な開店記念セールを実施しており、多くの客を集めていた。問題はブームが去った後である。以下では自動車圏と徒歩圏の買い物客という2つの視点で分析する。
第一に自動車圏である。自動車圏の買い物客を考えた場合、江東区全域や隣接区内のショッピングセンターも競合になる。江東区内に限定しても既に多数のショッピングセンターが存在する。
同じ南砂町駅付近にはトピレックプラザがある。木場にはイトーヨーカドーを中心とする深川ギャザリアがある。再開発が進む豊洲には「アーバンドック ららぽーと豊洲」ができた。さらに東雲にもイオンがある。東陽町のイースト21にあるクイーンズ伊勢丹が2008年4月25日に開業したものの、僅か1年数ヵ月後の2009年8月31日に閉店したように競争は厳しい。
自動車圏の買い物客への訴求要素として、SUNAMOには家電専門店のコジマが入居している点が挙げられる。従来、秋葉原や有楽町のビックカメラ、錦糸町のヨドバシカメラで家電を購入していた江東区民も多かった筈である。コジマが自動車圏の買い物客の集客の鍵になる。これに対してイトーヨーカ堂運営のアリオ北砂はイトーヨーカドー中心主義の傾向が強い。
第二に徒歩圏である。両施設とも生活必需品を廉価で提供するスーパーを核店舗としており、徒歩圏の住民が日常の買い物をする上で魅力的である。これが欠けていた点が百貨店凋落の原因である。テナントには写真館やカルチャーセンターまであり、生活に必要な店舗の多くが揃っている。他の商業施設にも入居する有名チェーン店がテナントになっている点も「近くの住民は近くの店で」という発想だろう。
両施設ともマンションが林立する住宅地にあり、徒歩圏の住民だけでも、それなりの数になる。SUNAMOは徒歩圏の住民を確実に集客している筈である。同じ南砂町にトピレックプラザがあるが、駅の北側・南側に分かれており、近隣の住民は近い方に行くだろう。SUNAMOは地域密着型の複合商業施設を謳っているが、これは近接住民を絶対に失わないという決意の表れと思われる。
これに対してアリオ北砂は砂町銀座と徒歩圏が重なる。この点は小名木川再開発が反対運動に直面した大きな理由である。再開発計画は古くから存在したが、ビル風や交通渋滞など住環境悪化を問題視する周辺住民に加え、地元商店街も反対していた。根強い反対を押し切って着工したために現在でも軋轢は残っている。
江東区議会には再開発に対し、風害防止など多数の陳情が提出された。交通渋滞やビル風被害、交通渋滞、生活道路への住民以外の車両の侵入など開発による様々な被害の解消を求めている。以下の交通渋滞の責任者を求める陳情からは、たらい回しの責任逃れに苦しむ住民の悲痛な叫びを理解できる。
・19陳情第41号「小名木川駅跡地開発の自動車渋滞発生の責任者はJRか、イトーヨーカ堂か、コンサルか、警視庁か、都五建(注:東京都第五建設事務所)か、区か、交通誘導員か明確にするよう指導することを求める陳情」
アリオ北砂の災害時の安全性を問題視する陳情もある。
・19陳情第74号「JR貨物開発の大型店舗に来所する顧客、周辺住民、施設の安全の確保について東京都震災対策条例の規定に適合していることを当防災・まちづくり対策特別委員会で確認することを求める陳情」
・20陳情第57号「震災や洪水や火災等から大型商業施設利用者の生命を守るため7,500uの防災広場を店舗計画敷地に設置するようJR貨物に指導することを求める陳情」
開発推進で地元商店街の声を軽視する江東区の姿勢に対する陳情もある。
・19陳情第77号「大型店の進出を歓迎するような開発調整課の認識を改めさせるよう求める陳情」
・19陳情第78号「「事業者と地元商業者お互いが高め合うような施策」を具体的に区が示して事業者を指導するよう求める陳情」
・20陳情第58号「事業者と地元商業者等との話し合いの進捗状況を確認するのに事業者からだけではなく地元商業者等からもその内容を確認するよう議会よりまちづくり推進課へ進言するよう求める陳情」
・20陳情第62号「江東区は、江東区の全国に誇れる宝であると公言する砂町銀座商店街と開発事業者である日本貨物鉄道株式会社との「JR 10条」に基づく話し合いについて、誘導方針に掲げた業態のすみ分けなどの施策についてこれまでどのような配慮がなされてきたのか、防災・まちづくり対策特別委員会委員の質問に真摯な態度をもって答えるように求める陳情」
アリオ北砂開業後も陳情の提出が続いた。懸念していた交通渋滞や路上駐車が開業によって現実化したためである。平成22年第2回定例会最終日(2010年6月28日)の本会議で以下の陳情が新たに付託された。
・「JR小名木川開発の大型店舗開設に伴う公道上での交通誘導員の誘導は違法行為であるから禁止するよう事業者に指導をすることを求める陳情」
・「JR小名木川開発の大型店舗開設に伴う明治通りの交通渋滞をなくすこと及び住民以外の車両を生活道路に進入させないよう事業者が即刻対処するよう指導することを求める陳情」
・「JR小名木川開発の施設に来店の車両が東西2号路の東行き通行が放置されているのは「覚書」の違背であるから事業者に厳しく指導することを求める陳情」
砂町という地名を意識し、地域密着をアピールするSUNAMOと開業後も反対運動に直面するアリオ北砂は対照的である。どちらの商業施設が支持されるか注目したい。

江東区

江東区海辺

元は深川海辺新田といい、その名のとおり海沿いの開発地であった。その後深川石島町に吸収されたが、昭和11年(1936)に深川海辺町として独立、昭和43年に海辺となった。

扇橋閘門

江東区猿江一丁目の扇橋閘門は東京のパナマ運河とも称される。扇橋閘門は東京都江東治水事務所が管理する。小名木川のほぼ中央に位置し、水面の高さが違う河川を船が通航できるようにした。小名木川は、江戸時代に行徳から塩を運搬するために開削された人口の水路である。

東京メトロ(営団地下鉄)

東西線

1963年6月27日、大手町〜東陽町間着工。
1966年10月1日、東陽町〜西船橋間着工。
1967年9月14日、東陽町駅開業。
1969年3月29日、東陽町〜西船橋間開業。東陽町〜西船橋間ノンストップの快速電車が運転した。

清澄白河

都営大江戸線と営団半蔵門線の2線利用は便利である。都内の主要駅までのアクセスがよい。特に新宿、渋谷、上野、六本木、錦糸町へは便利である。バスならば近辺の停留所からは、秋葉原行き、亀戸行きが使える。幹線道路では、三ツ目通りが水戸街道や湾岸道路へ接続している。清澄通りからは晴海通り、永代通り、新大橋通り、京葉道路へのアクセスが便利である。

高速では、湾岸方面には木場、福住ICと、その他各首都高速が集中する箱崎ジャンクションから、ほとんど全ての自動車道へのアクセスが可能(東名、中央、関越、東北、常磐、東関東自動車道)。その箱崎ジャンクションには、T-CAT(東京シティエアターミナル)が併設されており、成田空港、羽田空港まで一直線である。

江東区都市計画図

書籍名 江東区都市計画図 1 用途地域・日影規制
出版社名 国際地学協会
発行年月 1999年11月
価格(税込) 2,625円
ISBNコード 978-4-7718-4009-6 (4-7718-4009-1)
シリーズ名 東京都市計画図 第8図

書名  =  江東区都市計画図 平成8年5月31日決定
副書名  =  防火・準防火地域/容積率/高度地区/高度利用地区
   =  用途地域/臨港地区/日影規制区域
出版事項  =  江東区都市整備部都市計画課 1997.4
形態事項  =  チズ1マイ 109×7 cm
NDC分類  =  518.8 
書誌番号  =  KJ99004336

書名  =  江東区都市計画図
副書名  =  用途地域等指定図
巻次  =  平成16年6月現在
出版事項  =  東京都江東区役所都市整備部都市計画課 〔2004〕
形態事項  =  1枚 124×84cm
内容細目  =  用途地域 容積率 特別用途地区 高度地区 防火・準防火地域 高度利用地区 臨港地区 日影規制区域
NDC分類  =  518.8 
書誌番号  =  KJ04001141