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日本国憲法 第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第39条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第29条3項 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。


憲法38条1項は黙秘権を保障したものである。「強要されない」とは本人の意思に反し不利益な供述を強要し、それに基づいて有罪としてはならないばかりでなく、黙秘から本人に不利益な推測もしてはならないことを意味する。黙秘権は刑事手続のみならず、行政手続においても援用されうると主張される(小林節・増訂版憲法(南窓社1994)44)。

検察官、検察事務官又は司法警察職員は「取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない」(刑訴198(2))。しかし最判S25.11.21刑集4-11-2359は、捜査官が被疑者を取り調べるにあたり、供述拒否権を告知しなくても憲法38条に違反しないし、又その取調べに基づく被疑者の供述が直ちに任意性を失うことにはならないとする。黙秘権のあることを予め告知しなかったからといって、その取調べに基づく被疑者の供述が直ちに任意性を失うことにはならないとした例もある(最判S25.11.21刑集4-11-2359)。

自白とは、犯罪事実の全部又は一部について自己の刑事責任を認める供述をいう(福岡高判S24.9.6高刑特1-124)。「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない」(刑訴319(1))。反対解釈をすれば任意になされた自白は証拠とすることができる。但し「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない」(刑訴319(2))。

そこで自白の任意性が問題となるが、以下の場合には自白の任意性が否定され、又は疑われる。被告人を109時間拘禁し、その後に被告人がはじめて犯行を自白し、かつ被告人が逃亡するおそれのないものであった時は、右自白は「不当に長く抑留又は拘禁された後の自白」にあたる(最判S23.7.19刑集2-8-944)。

被疑者に対する糧食差入れ禁止の事実があり、その禁止の期間と自白の事実との関係上、外形的に差入れ禁止と自白との間に因果関係を推測される場合は、この因果関係の存在を簡単に否定してはならない(最判S32.5.31刑集11-5-1579)。勾留されている被疑者が、捜査官から取調べられる際に手錠を施されたままである時は、反証のない限りその供述の任意性につき一応の疑いをさしはさむべきである(最判S38.9.13刑集17-8-1703)。

「その他任意にされたものでない疑のある自白」(刑訴319(1))には約束や偽計による自白がある。自白をすれば起訴猶予にする旨の検察官の言葉を信じ、これを期待してした被疑者の自白は任意性に疑いがある(最判S41.7.1刑集20-6-537)。「偽計によって被疑者が心理的強制を受け、その結果虚偽の自白が誘発されるおそれのある場合には、右の自白はその任意性に疑いがあるものとして、このような自白を証拠に採用することは、刑事訴訟法319条1項の規定に違反し、ひいては憲法38条2項にも違反する」(最判S45.11.25刑集24-12-1670)。

しかし判例は以下のような任意になされたといえないと思われる事例において任意性を認めた。このような自白の任意性を安易に認める判例の傾向に対しては、「法廷では、捜査官による暴行や強制や誘導のために不本意な自白をしてしまったと言う被疑者と、そのような事実はないと言う捜査官とが対立することが良くある。日本の裁判官たちは、このような場合、被告人の主張は罪を免れるための虚言であると決めつけることが圧倒的に多い。」と批判されている(「ミランダの会設立宣言」1995.2.13)。

不当に長い拘禁後の自白であっても、拘禁と自白との間に因果関係のないことが明らかである場合は、「不当に長く抑留又は拘禁された後の自白」にあたらない(最判S23.6.23刑集2-7-715、最判S24.7.13刑集3-8-1264)。取調官からポリグラフ検査の結果を告げられた後になされた自白であっても、任意性がないとはいえない(最決S39.6.1刑集18-5-177)。

A事件を理由として勾留された被告人を、検察官がB事件の被疑者として約39時間連続約50回にわたり調べたからといって、右取調べをもって直ちに不利益な供述を強要したものとはいえない(最判S30.4.6刑集9-4-663帝銀事件)。司法警察員が作成した被告人の供述調書は、それが仮に不法逮捕拘禁中に作成されたものであっても、その一事をもって任意性がなく無効のものとはいえない(最判S27.11.25刑集6-10-1245)。

日本の捜査権力が権限を濫用する領域としては、任意同行の問題がある。「『任意』とは、もともと当事者の意思に任せるということであるが、実際問題としては、当事者は、心理的不安定の下に晒され、意に反して同行を強制され、被疑事実・証拠を採取されている事実があるのではなかろうか」(上田勝美「刑事手続上の人権」ジュリスト638(1977)344)。それでも判例は自白は「任意」になされたと言う。

被疑者をホテルに宿泊させる等して連日取調べた捜査官らの一連の措置を違法な任意捜査としながら、その「違法の程度は、憲法や刑事訴訟法の所期する基本原則を没却するような重大な違法であったとはいえない」し、「各自白調書を証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当であるともいえない」として、自白調書の証拠力を認めた例もある(千葉地判H11.9.8判時1713-143)。

しかし「被疑者・被告人に対する適法手続の保障、司法の廉潔性の保持、将来の違法捜査の抑止から、違法収集証拠は原則としてその証拠能力が否定されよう」(浦田賢治編・憲法改定版(法学書院1990)88(中野昌治))。


警察による不適切な取り調べ、特に事実と異なる自白の強要

結局は「やった」という言葉をなんとしてでも引き出したい、そのためには手段を選ばない、という危険きわまりない考えに基づくものでしかない。思い込みや予断に基づき、それに沿った答えしか聞こうとしない。自分の予断に反する答えが返ってくると、それを撤回させ自分の意に添う答えを返すまで執拗に離れない。自白剤や催眠術などというものまで用い、相手を異常な状態に陥れてまで無理矢理に吐かせようとする。

日本の監獄

日本の刑期が諸外国と比較して軽過ぎるとの声が強いが、受刑者の被る苦痛は地球で1、2を争うくらい上位である。拘束率が桁違いである。アメリカには監獄にも最低限の道徳(受刑者と見張りの間にも)みたいなものがあるが、日本にはない。カナダは罰するとともに助けるという意味がある。日本は罰するというより、「見張り」の優越感のためのペットというのが実態。アメリカは罰というが、実際はキャンプみたいに、かなり自由がある。但しその分受刑者同士のトラブルは少なくない。過剰拘束という点と侮辱しまくるという点が日本の監獄の特色である。不要な命令しまくり受刑者を踏みつけて楽しむ。刑務所、少年院のどちらにも保護房と称する拷問がある。見張りの暴行も獄内では当然のことだ。刑務所は移動のさいに手足を伸ばし、歩きかたまで命令する。罵声、怒鳴りは挨拶代わりである。

Dickerson事件

以下はAlderson Reporting社によって記録された、Miranda原則が問題となったDickerson対合衆国事件の審理の公式記録の抜粋である。質問した裁判官の氏名は、公式記録には記されておらず、New York Times社が特定したものである。

Hadley氏(上告人代理人)「34年前、Miranda対Arizona州事件において最高裁判所は自己負罪からの修正5条の特権は警察の捜査官が被疑者にその特権によって保障された権利を十分に知らせ、それらの権利を行使する十分な機会を与えることを要求するとの法理を確立した。今日法廷に現れた問題は議会が最高裁のMirandaを覆しそれ以前に逆戻りさせる立法権限を有するか否かである。

この問題を解く鍵はMiranda判決の要求が憲法に基づいておりそれ故立法による修正から免れているか、そうではなく第4巡回区裁判所が判示したように、裁判所の規則及び手続を定める単なる裁判所の権限の行使に過ぎないかという点にある。」

Antonin Scalia裁判官「Hadley氏、Miranda判決の要求は実体的な要件か。それらの不遵守は修正5条の侵害になるのか。」

Hadley氏「はい、Scalia裁判官。Miranda判決によって定められた個々の警告は憲法が命令したものではないが、それらの警告によって表された憲法精神は憲法の要求するところである。」

Scalia裁判官「私はこのように考える。警察官がゴムホースで誰かを殴り自白を聞き出し、そして刑事手続で自白を証拠として提出すれば、その警察官は暴行により民事訴訟で追及されるだけでなく、憲法上の権利、即ち修正5条の権利を侵害したことになる。」

Hadley氏「はい。」

Scalia裁判官「さて、警察官が被疑者にMiranda警告をせずに自白を獲得して、法廷に証拠として提出した場合、その警官は訴えられると考えるか。そのような事案をご存知か。」

Hadley氏「それはちょっと…ええと、Scalia裁判官。思い出した。Mirandaの権利の行使を故意に無視したことが民事訴訟の対象となるかについて第9巡回区裁判所が現在格闘している。」

Scalia裁判官「それが民事訴訟の対象になるとしたら驚きである。我々がここで論じている権利は実体的な権利ではなく、法廷の定めた手続的保障に過ぎないと考えるからだ。」

Hadley氏「Miranda判決の要求は憲法上の保障であって…」

Anthony M. Kennedy裁判官「それならばあなたの答えはMiranda判決が指定した警告は憲法上の要求である、となろう。あなたが最初に言ったことは少し違うように思える。」

Hadley氏「そうです。そこには微妙な違いがあります、Kennedy裁判官。その違いが恐らく文献に混乱をもたらしているように思える。Mirandaの憲法上の要求は被疑者に十分に彼の権利について十分に知らせる予防手続を求めている。それによって彼は自分の権利を知り、それらの権利を行使できることを知り、尋問者が彼の権利を尊重することを知り、裁判所はそれらの権利の放棄が単に自発的なだけでなく熟知の上意図的にされたと認定できる。」

Kennedy裁判官「さて、犯罪の抑制と街路の安全に関する単行法(1968)3501条はどうしてそのような要請を満たさないのか。」

Hadley氏「3501条は被告に告知し被疑者に保護を与える確定的客観的な手続を要求するのではなく、単に全体の状況的テストに逆行するものだからである。そのテストはMiranda判決が機能不全として排斥するまで何10年間も国中の裁判所が格闘してきたものである。」

Ruth Bader Ginsburg裁判官「Hadley氏、私の理解によれば、全体の状況的テストから切り替わったMirandaは適正手続に関するもので、拷問の禁止とは異なるものである。あなたがこの点について明確に認識しているかはわからないが。権利を行使できることを知らせ、その機会を保障する権利を修正5条から根拠づけたのはMirandaが初めてである。」

Hadley氏「はい。」

Ginsburg裁判官「拷問からの自由を保障する権利ではなく、黙秘権があることを知らせ、それを行使する機会を与える権利である。それが自己負罪についての特権の解釈として要求されている。それで正しいか。」

Hadley氏「はい、Ginsburg裁判官。Miranda裁判所は伝統的な適正手続である全体の状況的テストから、より客観的、具体的かつ明確な手続にはっきりと焦点を移行させた。その手続とは個人が彼の権利を知り、彼に対する尋問者がその権利を尊重することを知り、それらの権利を放棄するならば熟知した上でなければならないという手続である。」

William H. Rehnquist裁判所長官「うむ、Hadley氏。あなたは移行したと言った。それは取って代わるとの意味ではないと私は受け取った。何故なら私は以前の任意性のテストは現在でも憲法の要求を満たしていると考えるからだ。」

Hadley氏「はい。」

Rehnquist裁判所長官「自白が任意に引き出されたものでければ憲法に違反する。」

Hadley氏「はい、裁判所長官。その通りである。稀な事案において、Miranda警告に従って得られた自白がそれでも非自発的になされたと考えられる場合がある。物理的威圧が現存しており、又は個人の意思を圧倒する他の形態の威圧がある場合である。しかしMiranda原則の利点はほとんどの場合法廷に明確な証拠を提供する点にある。」

Rehnquist裁判所長官「ふむ。あなたはそれが明確な証拠を提供すると言った。しかし私はこれまでMiranda原則を解釈しなければならない事案を多数扱ってきた。それらは50件くらいあった。従ってそれが容易に適用できる基準と言うのは神話に過ぎない。」

Hadley氏「謹んで不同意を表明する、裁判所長官。私の判例法の理解によれば、Miranda原則がまだ新規な頃はその解釈を争う事件が法廷に多数上ってきた。しかし判例の積み重ねによって解釈が争われることは少なくなっていった。開廷期毎に争点と格闘していたかつての全体の状況的テストと比べれば相違は明白である。」


Miranda判決の2年後に本判決に対抗するために「犯罪の抑制と街路の安全に関する単行法」(1968)3501条が立法された。本条は供述が任意で強制されていなかったならば、Miranda原則に基づいた権利通告がなされていなくても、被疑者の供述を証拠となしうる、とする。しかし司法省を含む多数説はこの法律では自白の任意性の保障が不十分と解し、実務ではこの法律は無視されMiranda判決に基づいて運用されてきた。Clinton政権も連邦法令3501条は違憲として支持しない態度を明らかにしている。

しかしDickerson事件第4巡回区連邦控訴裁判所判決がこの埋もれていた3501条を適用した(1999.2)。バージニア州で銀行強盗罪に問われた被告人Charles Dickersonが、権利通告されないまま供述した内容を、同裁判所は「自発的になされた供述」という前提で、証拠採用した。本件では検察も弁護側も1968年の連邦法令を議論の論拠にはしていなかった。供述の任意性を重視する法令を持ち出したのは、訴訟当事者ではなく裁判に注目していた司法関係者団体だった。

バージニア州リッチモンドにある同裁判所は、バージニア、メリーランド、ウエスト・バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナの南部各州から上訴されてくる事案を審理する。同裁判所は保守的でかつ、憲法を事実上修正するような判決を下すことで知られていた。

Hadley弁護士は「この事例はきわめて特殊なものです。逮捕された容疑者が警察署に連行され、取調室に入れられて、それでもなおミランダ原則の通知を受けていないなんて。いまどきとても珍しいことです」と述べている(CNN 2000.1.19)。

本件は司法界に賛否両論を巻き起こし、上告されたため最高裁に注目が集まった。近年の最高裁は排除法則の多くを狭めることによってその傾向を変化させてきており、最高裁の判決を予想することが非常に難しく議論の的になっていた。日本でも「米国の人権擁護精神のシンボルの一つだった同ルールがなくなると、その先が心配になってくる。今後最高裁の判断にゆだねられるらしいが、米国だからこそ慎重であってほしい。」との見解がある(「ミランダ・ルール存続か否か」日経新聞夕刊2000.3.12)。

尤も最高裁は圧倒的多数でMiranda原則を支持する逆転判決を言い渡した(2000.6.26)。「レンキスト長官は判決理由の中で、ミランダ・ルールは「憲法の定め」であると明言、連邦高裁の判断を覆し、告知原則を再確認した」(「ミランダを再確認」日経新聞夕刊2000.6.27)。


Pensylvania v. Muniz 496 U.S. 582 (1990). これはMiranda原則が限定的に解釈された例である。警察官が、飲酒運転の容疑で逮捕連行したMunizにビデオテープ録画を告知したが、Miranda警告なしに、名前・住所・身長・体重・目の色・生年月日・年齢の7つの質問と「6才の誕生日はいつか」という質問をした。ミュニッツは6才の誕生日を正確に言えなかった。これを録画したビデオを証拠として、ミュニッツを有罪にできるかが問題になり、連邦最高裁は、7つの質問の解答の模様は修正第5条の保障の範囲内に入らないが、6才の誕生日についての解答は身体による証拠ではなく心理状態による証拠だから修正第5条で保護されるべき「供述」であり、証拠として許容できないとした。
U.S. Const. Amend. V No person shall be held to answer for a capital, or otherwise infamous crime, unless on a presentment or indictmentof a grand jury, except in cases arising in the land or navalforces, or in the militia, when in actual service in time of waror public danger; nor shall any person be subject for the same offense to be twice put in jeopardy of life or limb; nor shall be compelled in any criminal case to be a witness against himself, nor be deprived of life, liberty, or property, without due processof law; nor shall private property be taken for public use, without just compensation.

合衆国憲法修正第5条「何人も、大陪審の告発又は起訴なくして、死刑又はその他の不名誉刑を科せられる犯罪の責めを負わない。但し、陸海軍内で起った事件及び戦争又は公共の危機に際して現に役務を提供している民兵の内で起った事件を除く。何人も、同一の犯罪について生命・身体を再度の危険に晒されない。何人も、刑事事件において、自己に不利な証人となることを強制されない。何人も、法の適正な手続なくして、生命・自由・財産を剥奪されない。何人も、正当な補償なくして、私的財産を公共の用のため収用されない。」


国際条約

米国とヨーロッパの警察に今以上の監視の権限を認め、著作権の抵触範囲を拡大する条約が欧州会議で提案されているが、各国の市民的自由擁護団体がこれに憤慨している。北米、アジア、アフリカ、オーストラリア、ヨーロッパの全30団体は今週、この条約が「各国政府の警察の権限を不適切に拡大」し、インターネット・ユーザーのプライバシーやコンピューター・プログラマーの自由を脅かすと述べた。欧州会議のバルター・シュビマー事務総長に宛てた書状の中で、これらのグループは会議加盟各国政府に対し、条約の決議を遅らせ、技術やプライバシーの専門家に助言を求めることを勧めている。

「これは、各国政府が国民を守るために制定している法律および憲法による保護策に直接的なダメージを与えるものだ。さらに強力な(監視)権限を得るために警察が企てた巧妙なごまかしであり、また米司法省が政策の正当化のために利用しようとしている面も多少ある」と語るのは、電子プライバシー情報センターEPICのマーク・ローテンバーグ氏。氏によると、EPICをはじめとする30のグループは、来週ベルリンで開催される欧州会議の加盟国首脳会議が始まる前に、この条約案に対する反対派を結集したいと考えているという。

米国も作成に協力した欧州会議のこの条約案は、これから数ヵ月以内に最終的な承認が下されると見られており、成立すれば世界初のコンピューター犯罪防止条約となる。条約の草案は、オンラインでの攻撃や侵入が国境を越えて行なわれた場合に、警察が捜査をしやすくする目的で作成された。その内容は次のようなもの。許可なくコンピューター・システムにアクセスすることを主な目的として「設計または改変されたコンピューター・プログラムなどの仕組み」を作成、ダウンロード、あるいはウェブサイトに掲載することは犯罪とする。また、データを削除または変更することによって「コンピューター・システムの機能」を妨害するために設計されたソフトウェアも禁止する。

関係当局は、個人に対してその人物の暗号キーのパスワードを教えるよう命じることができる。ある調査によると、このような権限を法律で認めているのはシンガポールとマレーシアだけだという。このような要求は米国では自己負罪(自ら証拠・証言を与えて自己を有罪に至らしめること)から個人を守る憲法に違反する恐れがあると専門家は述べている。

児童の性器、あるいは性行為に関与する児童を表現している「と思われる」ものは、たとえデジタル画像であっても、それを所有することを犯罪とすると定めている米国の法律を国際化する。そのようなサイトにリンクを張ることも犯罪とする。ウェブサイトおよびインターネット・プロバイダーに対し、ユーザーに関する情報の収集を求める。匿名の電子メールユーザーもこの対象となる可能性がある。

「著作権侵害を自国の法律のもとで刑事犯罪と定める」という条約に署名するよう各国に求める。現在のところ、ソフトウェアや音楽ファイルを友人と共有する行為――法律専門家が呼ぶところの「非営利的侵害」――を犯罪と定めている国は米国のみと思われる。 この条約に反対している各グループは、セキュリティー関連のソフトウェアまで制限するのは賢明な選択ではないとしている。

グループが送った書状では以下のような主張が述べられている。「この考え方は、まったく合法的なコンピューター関連活動に従事する個人に対して好きなように取り調べが行なえるようにはならないということを明確にするだけの具体性に欠けているとわれわれは考える。また技術専門家が指摘しているように、この規定は新しいセキュリティー・ツールの開発を妨害し、技術革新を取り締まるという不適切な権限を政府に与えることにつながる」。

技術専門家たちは、「不法な仕組み」という見出しのついた条約案の第6条によって、リナックスに標準ユーティリティーとして含まれているcrackやnmapなどのごく普通のネットワーク・セキュリティー・ツールまでもが禁止される可能性があると述べている。この書状に名を連ねたグループは、人権ネットワーク(ロシア)、Privacy International(英)、アフリカのLINKセンター(アフリカ)、IRIS(仏)、Ameriac an Civil Liberties Union, ACLU、自由な表現を求めるカナダのジャーナリストたちなど。

米国で条約の草案作成プロセスを代表しているのは、米司法省の『コンピューター犯罪および知的所有権』部門だ。同部門はハイテク犯罪に関するG8(先進8ヵ国)のサブグループで議長を務めており、また米州機構のサイバー犯罪対策プロジェクトにも関わっている。先進8ヵ国のコンピューター犯罪に関する第1回会議は、1997年12月にジャネット・リノ司法長官を中心に開催されている。

欧州会議は欧州連合EUの関係組織ではない。加盟国は40以上にのぼり、その中には1996年に加盟したロシアも含まれている。欧州会議の専門家グループが条約案を最終的に承認すれば、続いて会議の首脳陣全員からなる委員会がこれを採択して条約が成立する運びとなる。その後は各加盟国に送付され、署名とともに新たな民事および刑事犯罪を定めた法律の制定が求められる。

脅迫罪

刑法222条は脅迫罪を定めている。「生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する」とある。ここにいう告知する内容としての「害」はそれ自体犯罪を構成するようなものであることを要しないとするのが通説、判例。即ち「上司に通報する」とか「告訴する」等の告知も相手を畏怖させるためならば脅迫罪になる(前田雅英・刑法各論講義2版(東大出版会1995)90)。更に脅迫により「人に義務のないことを行わせ」ることは強要罪に該当する(刑223条)。

名誉毀損の行為者において刑事第1審の判決を資料としてその認定事実と同一性のある事実を真実と信じて摘示した場合には、特段の事情がない限り、摘示した事実を真実と信じるについて相当の理由がある(最判H11.10.26民集53-7-1313謝罪広告等請求事件)。


猥褻

最判S32.3.13刑集11-3-997は猥褻文書は「人間の性に関する良心を麻痺させ、理性による制限を度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している」とする。しかし「猥せつ概念が不明確であり、猥せつ文書の取締りが、思想内容に対する価値判断に踏み込む危険性が常に存在しているという点から見て、一つは、ここで批判の対象とされている猥せつ文書の「具体的危険性」が科学的に明確にされる必要があり、他の一つは、内容と販売方法あるいは、メディアの種類の区別による処置の是非として論ずべきであろう」(石村善治「表現の自由」ジュリスト638(1977)304)。

これに対して「わいせつ罪の行為の社会的有害性は、経験に基づいて長い間抱かれてきた一般的見解であるから、このようなものに対しては、これを否定する側に立証責任を認めるべき」とする見解がある(金澤文雄「わいせつ処罰の動向」法教2期4号(1974)42)。又、「国民の中に存在する性的感情を著しく侵害するような行為は、やはり処罰せざるを得ない」とする見解もある(前田雅英・刑法各論講義2版(東大出版会1995)454)。

「わいせつではないが、しかし有害な影響を与えるおそれがあるから社会的に好ましくないという程度の理由ならば、それを法によって規制することは疑問であ」り、「表現の自由の側からみれば、その取捨選択、価値評価はむしろ各人の自由な判断にゆだねられたほうが賢明なように思われる」(浦田賢治編・憲法改定版(法学書院1990)105(右崎正博))。猥褻は各都道府県警で解釈が違うことは明白である。インディーズAVが取り締まり対象の都道府県とそうでないところがある。「ヘアー」が解禁になった時も国会の審議や内閣法制局の法解釈で変わったのではなく現場の判断で変わった。


「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も同様とする」(刑175)。猥褻とは徒に性欲を興奮又は刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう(最判S26.5.10刑集5-6-1026)。「この抽象的な定義は長い間そのまま維持されているものの、社会の意識の変化とともに、現実のわいせつ性の判断も大きく変わってきた」(井田良・基礎から学ぶ刑事法(有斐閣1995)93)。

「文書のわいせつ性の判断にあたっては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写の関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうったえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であ」る(最判S55.11.28刑集34-6-433四畳半襖の下張事件)。

文章の個々の章句の部分が猥褻であるかどうかは、文章全体との関連において判断される(最判S44.10.15刑集23-10-1239)。

文書の猥褻性の有無は、その文書自体について客観的に判断すべきものであり、現実の購読層の状況あるいは著者や出版社としての著述、出版意図など関係文書外に存する事実関係は、判断の基準外に置かれるべきである。

性器及びその周辺部分を黒く塗りつぶしてあるが、その修正の範囲が狭くかつ不十分であり、現実の性交等の状況を詳細、露骨かつ具体的に伝える写真を随所に含み、物語性や芸術性、思想性等、性的刺激を緩和させる要素がなく、全体としてもっぱら見る者の好色的興味にうったえると認められるものに刑法175条を適用することは違憲ではなく、刑法175条自体も合憲である(最判S58.3.8刑集37-2-15)。

学説も猥褻概念は「科学的価値や芸術性を欠く、『もっぱら見る者の好色的興味にうったえるものであるか否か』のみを判断すべき」とする(前田雅英・最新重要判例250刑法(弘文堂1996)230)。

米国

連邦猥褻物取締法 猥褻図画等を故意に州境を越えて移動させた者は、5,000ドル以下の罰金あるいは5年以下の懲役、またはその双方を科す。

U.S. v. Peraino, 645 F.2d 548 (6th Cir. 1981):連邦制定法12 U.S.C. 32337に基づいて、連邦の猥褻関連諸訴追の裁判地は、猥褻データの出所、通過地、または持ち込まれた地のどこでもよい。したがってデータの出所の地のコミュニティー・スタンダードでは許容されるものが送付した先の地のコミュニティー・スタンダードでは猥褻に該当して訴追されることもありうる。

Miller v. California, 413 U.S. 15 (1973):猥褻性判断の三つの基準は次の通り。(1)標準的な人物が現代の「コミュニティー・スタンダード」をあてはめたときに当該作品が好色な興味(prurient interest)に訴えるもので、(2)適用される州法によって定義されるところの性的行為を描写しており、かつ(3)その作品が真摯な文学的、芸術的、政治的、あるいは科学的価値を欠くこと。

Sable Communications of Cal. v. F.C.C., 492 U.S. 115 (1989):猥褻データを頒布する者を、多様なコミュニティー・スタンダードに服させても合憲である。かかる頒布を行う者は、自らが頒布を選択したコミュニティーに合わせてメッセージ内容を変えることができるのである。客のいる地域をスクリーニングさせコミュニティー・スタンダードに合わせてメッセージを作り出すための方法を開発し実施するためのコストを負担させるように強要することは、違憲な障害とはならない。

インターネットは特別な扱いを受けるのにふさわしいか、あるいはこれまで規制的ルールが発展してきた放送媒体と同じようにあるべきか(ACLU v. Reno, 929 F. Supp. 824 (E.D. Pa. June 11, 1996); ACLU v. Reno, 521 U.S. __ (1997).)。

被害者感情

被害者感情は無視してはならない。被害者の遺族が加害者への憎しみを抑えず、「死刑にしてほしい」と判断することはむしろ正当のように思える。もともと、死刑囚は自分の判断に基づいて殺人を行ったのだから、罰を受けるのは当然の結果である。一方、被害者の遺族は何も悪いことをしていないのに、ある日突然、生活ががらりと変わってしまう。被害者を愛していれば愛しているほど、苦しい思いをする。

よって守るべきものはまず加害者の人権よりも被害者だろう。加害者を攻撃することが被害者の癒しと直接結びつくわけではないとの批判もあるが、加害者が生を享受しているとしたら、被害者に対して何らかの別の措置がなされていたとしても、被害者の傷は癒されないかもしれない。「私が被害者の遺族だったならば」と考えて見るときに、どうしても気持ちの面が強くなってしまう。だから、そこが一番重要なのと思う。

これについてアメリカの恩赦委員会という制度は適切なものと思う。死刑執行の最終的な判断につき被害者の遺族が関わるのは、被害者感情の沈静化に大きな力となる。悪い言い方をすれば、加害者を死刑にして気が済むのならば、死刑にすればいい。それくらいわかりやすく目に見えるものでなければ、被害者の遺族が負った傷は拭えないと思う。


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