都民参加への模索連絡会夏季討論合宿

林田力

都民参加への模索連絡会は夏季討論合宿を2014年7月12日及び13日に神奈川県足柄下郡湯河原町で開催した。以下は合宿の所感である。合宿の内容を紹介するものではなく、合宿の議論を元に考えたことを述べている。合宿後の世話人間の議論も踏まえた内容になっている。

この合宿の意義を一言で述べるとすれば、2014年東京都知事選挙における宇都宮健児候補の支持者と細川護煕候補の支持者が集まって敵意をぶつけ合わずに議論できたことである。今後も平場で議論を続けていきたいという結論になった。

今後の集会テーマとして都市計画が出た。私が細川支持の動きの中で批判したものは細川氏本人が云々ということよりも、脱原発至上主義であった。それ故に脱原発至上主義でないテーマが挙がったことは歓迎できる。

一方で細川支持者の人々は宇都宮健児候補の出馬経緯に対して、わだかまりを抱いていることを再確認した。これが単なる宇都宮批判ならば「細川護煕候補の出馬経緯は市民派各派と調整したのか」と返せば済む。しかし、問題意識の中には今後同じようなことを繰り返してはならないというものもあり、「過去を蒸し返すな」と封じ込めて済む話ではない。但し、「出馬経緯が信義に反する」との主張に関して目新しい事実が提示された訳ではなかった。

私は宇都宮氏の出馬を期待し、歓迎した立場であり、所謂フライング論を批判している。その立場に変わりはないが、合宿のテーマである市民派統一候補ということを考えるならば批判者の問題意識は受け止める意義があると考える。合宿では東京都世田谷区と千葉県松戸市の市民派統一候補擁立の試みが報告されたが、共に政治家側の勝手な出馬という擁立側から見ると「裏切り」行為が問題になっている。

原則は立候補の自由がある。選挙前に談合のような形で候補者を絞ることよりも、立候補したい人が立候補して各々の主張を展開し、有権者に判断してもらうことが選挙制度の趣旨である。市民派統一候補擁立は不自然なことである。統一候補でまとまらずに独自に立候補することは有権者に選択肢を提供することになる。私としても「脱原発至上主義が市民派の総意」と押し付けられたならば、それを否定することに熱を入れたい。もし市民派統一候補擁立の動きに少しでも不満があれば、そこから抜け出して独自の候補擁立を目指すことは自由であり、それを正当化する論理は構築可能である。

一方で誰もが少しでも気に食わないことがあれば脱退するということでは、市民派統一候補は絶対に実現しない。統一候補擁立を目指す側としては容認し難く、「裏切り」や「信義に反する」と言いたくなる。何しろ立候補は自由であり、「裏切り」を掣肘する手段は皆無に近い。できることは「裏切り」がなされた場合に不当な行為として記憶し、記録することくらいである。この意味では東プロ総括や細川勝手連総括のような文書が出てくることは理解できる。

しかし、立候補する側にも言い分はあり、有権者への選択肢の提供という大義がある。「裏切り」批判が一方的なものならば統一候補擁立側の信頼性が問われる。

合宿の報告でも全ての事例が約束違反になるか疑問があった。そのために私は質疑応答で擁立側が候補者に約束を求めたことの理由を質問した。その回答は擁立側の論理としては理解できるものであったが、そのような約束を擁立側が候補者に押し付ける権限があるのか疑問なしとしないものがあった。その意味でも「過去を蒸し返すな」ではなく、徹底的に議論することが有益である。

まず政治家が「勝手に」出馬した事例には傍から見ても自分が統一候補に選ばれそうにないから出馬したと評価できる事例がある。これを擁立側から非難することは容易である。それでも擁立側と政治家に政策面の相違があれば、その相違点が重要なものであり、有権者に選択肢を提示するという大義をもって正当化できてしまう。

一方で政策の大枠は合致するとしても、政治と政党についての考え方の相違が対立の背景にあるケースもある。これは一般に流布されがちな「日本共産党が統一をぶち壊した」的な話ではない。報告事例では民主党が壊したと評価できる事例もあったし、無所属議員が壊したと評価できる事例もあった。要するに誰でも壊し得るものである。

火種は市民派統一候補を擁立する超党派の枠組みの捉え方の相違である。一つの捉え方は政党色をなくし、無党派を志向するものである。別の捉え方は野党ブロックを構想するものである。この捉え方が擁立側と政治家で分かれていた場合に両者の対立が生じやすい。これは考えが異なることが問題で、どちらがどちらの場合でも起こるものである。

擁立側が無党派志向である場合、政治家に政党人ではなく、無党派として行動することを求めたくなる。それは選挙後も変わらない。ところが、政治家が野党ブロック志向であると「政党を無視して政治ができるか」と考える。それが具体的な行動に現れると、擁立側は政治家の行動を約束違反と非難する。

逆に擁立側が野党ブロック志向で、政治家が無党派志向である場合もギャップが生じる。擁立側は現首長の予算に反対する各会派と足並みを揃えることが対立軸を作ることになると考える。ところが政治家の方は各議員に対して会派所属議員ではなく、区民党の立場から是々非々で判断してもらうことを理想と思っている。この考え方の溝を埋められずに統一候補がまとまらなかった事例もある。

管見は野党ブロック志向に近い。議会制民主主義において議会内に会派が生じることは必然であり、政党政治は必然と考える。大統領制型の地方政治も首長だけに担うものではなく、首長と議会が両輪であり、やはり政党は重要である。市民側に「無党派であることがカッコいい」「無所属になって初めて独立して政治活動ができる」的な政党否定の風潮があるが、それも政治離れの帰結の一種であると感じている。

無所属議員が会派所属議員よりも様々な苦労をしており、勉強していることは承知している。私は希望のまち東京in東部で東部各区の区議会の質疑を調査したことがあったが、特定会派の区議は各々の区議会で同じ要求をしていた。上位レベルで政策の共有をして、それを各区に下ろしていることを推測させる。それに比べると無所属議員は質問一つでも全て自分で考えなければならない(山本太郎参議院議員の質問主意書パクリ事件はあったが)。

会派所属議員は楽をしていることになるが、その楽も人類の有意義な発明の一つである。その発明によって楽をするだけの議員も多いが、有意な活動に振り向けることもできる。故に「会派の特権をなくして全ての議員が一個人として行動すべき」とは考えない。

但し、「議会制民主主義では会派は必然」は近代という一つのパラダイムに規定された考えに過ぎないとの自覚はある。そして無党派志向の中には、そのパラダイムに挑戦するという問題意識があることは認識しており、無下に否定するつもりはない。

やはり異なる考えが議論を深めることが重要である。考え方が異なるということを認識すれば、同意はできなくても、相手の言動を理解することはできる。それによって結果的に別々の道を歩むことになったとしても、市民派同士で「裏切り」や「信義に反する」などの、おどろおどろしい言葉が飛び交うことは抑制できるのではないか。

今後、市民派統一候補擁立の試みを続けていく上で「気に入らないことがあるから脱退」を可能な限り避けることが課題になる。あくまで原則は気に入らないことがあれば脱退することは自由である。私自身も気に入らないことがあるために東急不動産とのマンション売買契約を取り消し、マンション管理組合理事長として東急コミュニティーの管理会社解約を推進した経験があり、見切りは早い方である。

「気に入らないことがあるから脱退」の意思が尊重されることは大前提である。しかし、皆が「少しでも気に入らないことがあれば脱退するぞ」とちらつかせては、市民派統一候補擁立は成り立たない。即効薬はないが、徹底的に議論を深め、仲間意識を抱き、簡単に脱退できないような関係にしていくしかないだろう。その意味では湯河原合宿は有益な一歩と評価できる。



議論の姿勢

市民派統一候補の擁立という観点から合宿の議論で気になった点として、「私はAという政策が正しいと考える。だからAを主張する」という姿勢が強いことである。これに対して「有権者の多数はBを望んでいる。だからBの政策を打ち出す」という姿勢が乏しいと感じられた。

合宿では「市民派統一候補を擁立し、当選させるために何でもかんでも100%の要求を通すことはできない。ほとんど変わらないものと覚悟しなければならない」と問題提起された。これは様々な主義主張の人が集まって統一候補を擁立する場合の見識である。ところが、そこで脱原発に関心が高い人が「だから脱原発選挙にしなければならない」と主張し、それに対して護憲平和運動に取り組んでいた人が「いやいや脱原発だけでなく、護憲平和も入れなければならない」と主張する。これでは自分のやりたいことを言っているだけであり、「気に入らなければ即脱退」の世界になる。

「私はAという政策が正しいと考える。だからAを主張する」だけではダメとの主張は細川支持者からの宇都宮陣営批判として見られがちである。「正しい運動ではなく、勝てる選挙」論である。しかし、むしろ宇都宮陣営は「有権者の多数はBを望んでいる。だからBの政策を打ち出す」ことを考えていた。それは東京オリンピック・パラリンピックに対する政策に反映されている。逆に細川陣営の脱原発至上主義は勝てる選挙ではなく、脱原発運動家が自分にとって正しい運動を追及しているだけのものに映った。有権者の都政への関心を無視したものであり、反感を受ける結果になった。

「有権者の多数はBを望んでいる。だからBの政策を打ち出す」という姿勢が乏しい理由として、「小早川秀秋のような日和見主義、情勢分析屋ではダメだ」と積極的に否定する立場がある。しかし、小早川秀秋がダメな理由は最後の最後まで旗幟を鮮明にしなかった鈍さにある。藤堂高虎や黒田長政のような動きが必ずしも悪いとは思わない。むしろ藤堂高虎や黒田長政のような冷徹な分析力のない分析屋が幅を利かせたことが悲劇である。都知事選挙の「勝てる可能性のある候補は細川護煕候補」論である。勝てる可能性がある候補を応援することは悪いとは思わない。むしろ、直近の選挙結果・政党の消長を踏まえた上で細川氏が勝てると分析するセンスの古さを批判する。

また、小早川秀秋の不実は裏切ったこと以上に、東軍について当然の人物が西軍として行動したことにある。小早川秀秋は石田三成を恨み、徳川家康に感謝する立場であった。受けた恨みを忘れないという立場では西軍につくこと自体があり得ない。この点でも細川政治改革(小選挙区制)や小泉構造改革で痛めつけられた人々が細川氏を支持することは滑稽である。

言うまでもなく「有権者の多数はBを望んでいる。だからBの政策を打ち出す」は絶対ではない。極論すれば国民の多数が戦争を望めば開戦するのかという話になるためである。それでも脱原発の思いから始まった都民投票運動から「原発に賛成でも反対でも皆で投票して決める」ことに価値を見出す意見が生まれたように、民主主義社会で政治に取り組むならば、自分のやりたいことだけでなく、有権者の多数が何を望んでいるかという視点が求められる。

「私はAという政策が正しいと考える。だからAを主張する」という姿勢が強くなる別の要因として市民派統一候補観のギャップがある。私は異なる人々、本来ならば別々の候補者を応援して然るべき人々が妥協して統一候補を擁立するというイメージである。このイメージからすると「正しい主張を貫かなければならない。やるやる詐欺とは手を組まない」という原理主義的なアジテーションは「そのような姿勢で統一候補を擁立できるのか」という違和感がある。

これに対して、本来は一つであった人々が別々の党派に分かれており、そこで統一候補を擁立するという統一候補観もある。この統一候補イメージは正しい主張に純化しようとする姿勢と必ずしも矛盾しない。日本の現状において「本来は一つであった人々が別々の党派に分かれている」ことも一つの真実である。それ故に、このようなイメージの統一候補擁立の動きがあってもいい。しかし、それが市民派統一候補になるかは疑問である。「本来は一つ」に連ならない人々にとって参加する大義も資格もないためである。

細川勝手連と細川護煕票

都民参加への模索連絡会夏季討論合宿では宇都宮支持者と細川支持者が今後も平場で議論を続けていきたいという結論になった。宇都宮支持者と細川支持者で統一候補を模索することは大きな意義がある。単純な数字合わせであるが、もし2014年東京都知事選挙で宇都宮98万票と細川95万票が一つになったとしたら、舛添要一候補に匹敵する。

問題は細川勝手連が細川95万票を体現しているかということである。既に私は細川勝手連と細川陣営のギャップを指摘したことがある。そのギャップは細川勝手連と細川95万票のギャップにも重なると感じている。何故ならば、直感的に感じたことであるが、細川勝手連流の細川支持は、脱原発を唱えた細川氏個人を応援するという傾向が強いためである。それでは宇都宮98万票とは別の政治嗜好を持つ人々として細川95万票を捉えることにはならない。

たとえば国家戦略特区に関する細川氏の選挙戦最終盤の公約は「規制緩和を推進し、岩盤規制を打破するが、解雇特区は慎重に」というものであった。当時は脱原発至上主義が批判されて仕方なく生活密着課題の公約を打ち出したと言える状況であり、どこまで「解雇特区は慎重に」と考えているかは疑わしい。むしろ宇都宮陣営のブラック特区批判があったからこそ、細川陣営も「解雇特区は慎重に」と言わざるを得なくなった。

故に宇都宮氏を支持するが、細川氏の公約が言葉通りのものであるならば、それを積極的に支持する人々もいる。何でもかんでも規制緩和に反対という左翼教条主義よりも民意に近い。宇都宮支持層の間でも選挙の供託金を参入規制と呼び、規制緩和を求めるレトリックが使われているほどである。

もともと規制には同業者保護もあれば消費者保護もあれば労働者保護もあり、性質も参入規制や事後規制など様々である。それらを一まとめにして規制緩和賛成・反対の二分法にすることは乱暴である。故に「規制緩和を推進するが、解雇規制緩和は慎重に」は一つの見識である。

しかし、細川勝手連の支持者からは、このような脱原発以外の面での政策評価は、あまり聞かれない。逆に「細川氏は本音では国家戦略特区に反対」など公式の主張と逆のことを主張する傾向がある。むしろ細川勝手連の人々の求める政策は非常に左翼的である。故に「そのような人々が何故、細川氏や小泉氏を熱狂的に支持するのか」という疑問が生じる。細川氏や小泉氏の政治的立ち位置を無視して、人間として支持していなければ説明つかない。「新自由主義は嫌いだが、細川氏や小泉氏は特別だ」というメンタリティである。

私としては細川勝手連とつながることで、細川95万票とつながることができるならば素晴らしいことと考えるが、細川氏や小泉氏しか見ていないように感じられる。中には民主党や連合の支持が必須と考える人もおり、それは一つの考えである。しかし、これから細川95万票がまとまるムーブメントが起きるとしたら、民主党よりも維新と結の新党になる可能性もある。そのような第三極に対して、細川勝手連の支持層が宇都宮支持層よりも柔軟な姿勢を持っているようには見受けられない。むしろ頭ごなしの拒否感が強い。

そのような細川勝手連支持者と宇都宮支持者が合意できるところから合意するという形で建設的に議論すると、逆に非常に狭い左翼的なものになってしまうのではないかとの危惧がある。平行して広い民意を意識していくことが必要である。

但し、これも統一候補観によって評価が変わる。「本来は一つであった人々が別々の党派に分かれている」との問題意識に立つならば、狭いものになったとしても、それを一つにすることには意義がある。

人間は造物主のように世界全体を作り変えることはできないとしても、自分の目の届くところから変えていくことはできるかもしれない。都民参加への模索連絡会の立ち位置からすると、宇都宮支持者と細川勝手連支持者の連携から取り組むことが目の届くところからの行動になる。


統一候補擁立の前提

1.13東京連絡会世話人会「1.13東京連絡会2014年東京都知事選の総括」は「2016年は政治的に大きな山場、これに向けて精力的な取り組みを検討していきたい」と記した(12頁)。この取り組みの具体化が今後の課題になる。本稿は、この肉付けを目指すものである。本稿は希望のまち東京in東部・第3回市民カフェ(2014年5月31日)の議論に負うところが大きいが、あくまで個人の見解である。

総括文書の「精力的な取り組み」は、原案では「国政選挙での統一候補擁立」という、より具体的な目標を記していた。総括文書は最終的に記載の表現に落ち着いたが、統一候補擁立は隠すものでも否定するものでもない。もともと起案者の私見として表明されていたものである。ただ、具体的な統一候補のイメージがまとまっていないために総括文書の記載は見送った。これは都民参加への模索連絡会夏季討論合宿のテーマになっており、本稿のテーマも統一候補擁立提案への肉付けである。

統一候補擁立のために何をするかという点について、管見は最初に市民側の意識改革を挙げる。本来ならば選挙は各人が最も優れていると考える候補者や政党を応援し、投票すれば良い。そのような建前論が悠長に見える政治情勢であるために最大公約数的な合意に基づく統一候補が期待される。ここまではコンセンサスを得ることは難しくない。

主張したい点は、その先である。最大公約数的な合意を基礎として統一候補を選出することは、各人にとって必ずしも最適でない候補が統一候補となることを意味する。そのような候補を自分達の候補として熱烈に支持し、献身的に応援する覚悟が市民側にあるかが問われる。たとえば自由主義者が共産主義者の候補者を統一候補として支持する、逆に共産主義者が自由主義者の候補者を支持することが成り立つかという問題である。自由主義者と共産主義者は極端な組み合わせとして挙げたものであるが、より近い存在である共産主義者と社会民主主義者に置き換えても日本の実情では楽観できない。

統一候補擁立は独創的なものではなく、様々なところで試みられている。しかし、そこでは他者に自分達の候補者を応援させる論理として使われる傾向があった。その種の論理は我田引水に映り、統一候補の必要性自体の否定という形の反発が返る。統一候補擁立には自分達が我慢するという発想が求められる。それは面白いものではなく、モチベーションは湧きにくい。故に「統一候補擁立は無理筋である」も一つの結論である。逆に我慢する覚悟のない統一候補擁立の動きは混乱要因にしかならない。

当然のことながら、個人レベルでは絶対に譲れない論点というものは存在する。他の政策では全て合致していても、当人が重視する一点で見解が対立するために支持できないという結論もある。個人の決断として尊重されるべきであるが、全ての人がそのように動くならば統一候補は成り立たない。それ故に最大公約数的な合意を基礎とする候補を自分達の候補と応援できる市民を増やすことが活動の第一歩になる。容易ならざる道ではあるが、それが進まなければならない道である。

4つの課題

以下では統一候補擁立の基礎となる最大公約数的な合意を何にするかを検討する。これは総括文書で「4つの課題」として提示されている。「脱原発・脱被曝・被害者完全救済」「市場原理主義との決別」「日本国憲法の継承発展」「新しい民主主義政治・制度の確立」である(11頁)。これらの世論形成・政治争点化を日常的に取り組むと掲げている。この「4つの課題」も起案者の私見として提示されたものであり、その妥当性が議論されるものである。管見は「4つの課題」を支持する。これは幅広い支持を得る結集軸であり、高いハードルを定めて支持を狭めるためのものではない。

第一の課題は「脱原発・脱被曝・被害者完全救済」である。脱原発は市民派の合意の大きな基礎になる。2014年東京都知事選挙では次点の宇都宮健児候補と3位の細川護煕候補の得票を合わせると、当選した舛添要一候補の得票に拮抗した。宇都宮候補と細川候補の政策の重なる部分は脱原発である。私は宇都宮氏を支持し、細川氏を批判した立場であり、都知事選挙が分裂して宇都宮氏が次点となったことに大きな意味を見出しているが、新たに市民派の統一を考えるならば脱原発から考えることは穏当である。

当然のことながら脱原発を公約に掲げることと、脱原発しか言わないことは異なる。後者に固執するならば2014年東京都知事選挙の分裂が繰り返される。「4つの課題」として複数の課題を掲げていることは脱原発至上主義の否定である。

「脱原発・脱被曝・被害者完全救済」には議論すべき論点が2点ある。一つは脱原発の意味についての対立である。脱原発を原発ゼロ・再稼動阻止と捉えるか、将来的に原発をなくしていく緩やかな発想と捉えるかの対立である。

脱原発運動にとって脱原発は前者である。脱原発運動からすれば条件付で再稼動を認める人物を脱原発派とは認めないだろう。再稼動を容認すれば橋下徹氏のように裏切り者扱いされる。また、2014年東京都知事選挙の宇都宮候補と細川候補も原発ゼロでは一致していた。ここからすると条件付再稼動容認論は後退になる。

他方で脱原発の言葉の由来からすれば、一切の再稼動を認めないというガチガチなものである必要はない。新自由主義の脱原発は電力自由化によって原発稼動で儲からない社会制度にすることで原発をなくしていく考えであり、再稼動を認めるか否かは決定的な問題ではない。国民の多くが脱原発であると言っても、それが脱原発運動の脱原発と重なる訳ではない。2014年東京都知事選挙の細川・小泉純一郎元首相も原発ゼロを唱えたが、脱原発運動と同じ主張になったことは細川候補が保守層に食い込めなかった一因である。

一つの妥協案として「絶対安全なもの以外は再稼動を認めない」がある。「絶対安全な原発はない」との立場からのものであるが、後の紛争の種になる。再稼動を推進する側は安全性を主張するためである。別の妥協案として「任期中は再稼動しない」「再稼動は住民投票で合意を得ることを条件とする」などが考えられる。

もう一つの論点は脱原発・脱被曝・被害者完全救済と3要素を並べたことの是非である。幅広い支持を集めることを目指すならば脱原発の一点に絞るべきとの主張が考えられる。脱原発以外に別の要素を加えるならば、それだけ合意のハードルが高くなる。

脱原発・脱被曝・被害者完全救済と3要素を並べることの積極的理由は、脱原発問題がエネルギー政策や電源選択だけの問題ではなく、生命や人権の問題であることを示すところにある。但し、左翼的な脱原発運動は逆にエネルギー政策、電源選択の視点が欠落する傾向がある。この点は国民一般の脱原発と乖離があるところであり、むしろ電力自由化・発送電分離などへの理解を深めるべきである。逆に新自由主義的脱原発を排除するハードルとして脱被爆を強調する傾向も一部には見られるが、それは統一候補擁立とは真逆の考え方である。

脱被曝を掲げることはマイナスとの主張も考えられる。放射脳カルトと同視される危険があるためである。この点では脱原発・脱被爆ではなく、脱原発・脱被曝・被害者完全救済としたことに意味がある。被害者完全救済を掲げることで、福島で復興に取り組む人々からも支持される脱原発になる。福島を差別する放射脳カルトと差別化できる。

第二の課題「市場原理主義との決別」は幅広い。TPP、消費税、労働・ブラック・貧困、国家戦略特区、規制緩和、社会保障・福祉、子育て支援、老人、公共の復権、農林水産政策、消費者行政などを想定する。ここでは市場原理主義の意味が論点になる。一つは市場原理主義を新自由主義とイコールなものとして、社会民主主義やソーシャル・リベラル、福祉国家思想を対置する。もう一つは市場原理主義を新自由主義思想と別物と捉え、新自由主義思想の信奉者も市民派に含める立場である。

後者にとって市場原理主義は富裕層が富を増やすために都合のいいところだけ新自由主義思想を利用するものである。郵政民営化に際して東急リバブルが郵政関連施設を評価額1000円で取得し、4900万円で転売したような国家利権による金儲けである。市場原理に忠実でもないため、市場原理主義という言葉も正しくないが、他に流布している用語がないために市場原理主義との言葉を用いる。これは新自由主義思想にも反する。

米国で話題の書籍トマ・ピケティ(Thomas Piketty)『21世紀の資本論』(Capital in the Twenty-First Century)の資本主義批判「資本収益率が国民経済の成長率を上回るため、富が一部に集中して、格差が拡大する」も政治権力が利潤配分の仕組みを利己的に決める社会制度が原因である。貧困と格差は市場の失敗というよりも政府の失敗が原因である。

マルクス主義の洗礼を受け、実務はケインズ経済で高度経済成長の一翼を担った人々に新自由主義の嫌悪感が強いことは想像に難くない。純粋な論理と言うよりは考えの癖、あるいは好みによって新自由主義を嫌悪している可能性は考慮しなければならない。その可能性があることを自問しつつ、なるべく教条的にならずに、どのような形が適当であるのか、機能的な側面から論じるように努力する必要がある。

第三の課題「日本国憲法の継承発展」は憲法を政策の中に具体的・明示的に活かす、徹底平和主義などを想定する。ここでの論点は既存の護憲運動との距離感である。一つは護憲運動そのものとする立場である。もう一つは護憲運動とは距離を置き、もう少し緩く考える立場である。

「日本国憲法の継承発展」というだけでは、集団的自衛権も憲法改正さえも否定することにはならない。憲法改正が日本国憲法の発展になるとの論者も包含できる言葉である。前者の立場に立つならば「日本国憲法の継承発展」以上の要素「解釈改憲反対」「憲法改正反対」などを盛り込みたいところである。後者の立場に立つならば逆に「日本国憲法の継承発展」のみという緩やかさが幅広い支持を得るために肯定できる。

第四の課題「新しい民主主義政治・制度の確立」は情報公開・公文書管理・特定秘密保護法廃止、常設型有権者直接投票制度(レファレンダム)、市民参加・分権・自治の具体的制度化(イニシアティブ、リコール制度、パブコメ、市民協議会・地域協議会等)、オンブズマン制度、NPO・NGO支援活用政策などを想定している。

ここでは理念としての共感をもって是とするか、具体的な制度の実現を求めるかが論点になる。現実に住民投票を公約に盛り込まなければ支持しないという動きもあった。そのような厳格なハードルは幅広い支持を集めようとする立場とは逆のものである。

この「新しい民主主義政治・制度の確立」は政治家や政党の支持を得る上で障害になる可能性がある。政治家を志すような人は現行制度の間接民主制を信奉しているところがあり、直接民主主義的制度への拒否感がある。それでも現在の間接民主制が問題ないと言えるものでないことは明らかであり、小手先の議会改革で解消するような生易しいものでもない。それ故に「新しい民主主義政治・制度の確立」の問題意識を共感する人を求めたいところである。それは職業政治家ではなく、市民の要求としてふさわしいものでもある。




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