希望のまち東京in東部

希望のまち東京in東部第37回市民カフェ「イスラム国人質問題と国家」

林田力

希望のまち東京in東部は2015年2月5日、希望のまち東京in東部第37回市民カフェを東京都江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催した。今回は「イスラム国人質問題と国家」をテーマとした。また、ピケティについても議論した。

雪が積もると予報されたが、今のところは雨である。秋葉原事件とイスラム国の問題は重なるところがある。対岸の火事ではない。FacebookやTwitterなどでイラク・レバントのイスラム国(ISIL; Islamic State in Iraq and the Levant)に人質になった湯川遥菜さんと後藤健二さんや、安倍首相の対応について、多くの意見が寄せられている。「国に迷惑をかけるな」と言う意見もある。国家とは何かについても議論した。

デヴィ夫人のブログ「大それたことをした湯川さんと後藤記者」が話題になっている。過激な極論を言っているわけではないが、この記事を読んだ人の中には「自決すべき」と主張する人がいる。デヴィ夫人は「湯川さんは不心得にも武器を売って利益を得ようと危険極まるシリアへ足を踏み入れたのです」と述べている。

「国に迷惑をかける」という意味はどうなのか。国は国民の生命財産を守るためにある。「国に迷惑をかけるな」と主張する政治家がいたら、国家を否定している。国は国民の生命・財産を守ってはいけないのか。国家が守るべき生命や財産を守っていいのか。国家に迷惑をかけることと他人に迷惑をかけることは異なる。国家の役割をどのように考えるか。人質を助けなくていいとなれば、生命・財産を守らなくていいということになる。

「国に迷惑をかけるな」との主張を擁護するならば、左翼側が安倍政権に対して政策変更を要求したり、安倍首相の退陣を要求したりすることの反論ではないか。日本政府に政策変更を要求することは別次元の問題ではないか。人質解放を名目に元々気に食わない安倍政権の外交政策を変更したいだけではないか。

最近、国家という言葉が使われ始めた。国民よりも国家が優先するという雰囲気が出てきた。ナチスは国家社会主義労働者党であった。国家が頭に来る。国家という共同幻想を利用して国民を統治してきた。国家は恐ろしいものである。妖怪のようなものである。安倍首相は湯川さんの殺害を織り込み済みで2億ドル支援を表明したのではないか。

人質問題で様々な意見が出ている。安倍政権の政策が悪いとの主張がある。それが原因だから政策を変更しろという主張がある。その対極に自己責任論がある。安倍政権の外交政策と人質事件の対応を分けて考えるべきではないか。人質解放のために政策変更をする議論の時間は十分ではない。

安倍政権の中東政策は従来と変わっているのではないか。これまで日本人はアラブから評価されてきた。日露戦争でロシアに勝ったことも評価された。これが変わってきたのではないか。イラク戦争への協力から変わってきたのではないか。

富裕層のアラブ諸国はイスラエルとの対決ではなく、イスラエルと一緒になって中東世界をコントロールしようとしているのではないか。ただ、アルカイダの供給元は富裕国であり、そのように単純化できるか分からない。

中東諸国の国境線を引き直した方がいい。欧米諸国に勝手に国境線を引かれた。イスラエルも欧米諸国が作ったようなものである。オイルダラーで拝金主義に陥っている状況に対して宗教的原理主義が出てくることは理解できる。

安倍首相は簡単に有志連合にくっつき、そうではないアラブ人に敵と認定されたのではないか。国会で中東政策の大綱を議論すべきではないか。日本の商社の駐在員などは戦々恐々ではないか。国家は助けてくれない。中東政策について国民的な大議論をすべきではないか。

中東の邦人の安全をどのように守るか。中東諸国が平和でなければ安全は守れない。どのような支援ができるか。一方を支援すると敵対勢力は反発するという構造があるため、難しい。自衛隊派遣という話が出てくる。人質問題を餌に自衛隊派遣や憲法改正の話になることは分かりやすい。そのような単純なことでいいのかと思ってしまう。カジノにもユダヤ資本が入ってくるとの指摘がある。カジノで儲けた金がイスラエルに送金され、パレスチナ人抑圧に使われるのではないか。

イスラム国に移民の子孫が戦闘員として集まっている。ヨーロッパ社会に受け入れられない。貧困と格差が蔓延している。テロリストが近所の人からは「優しい人だった」と評されていた例がある。この問題は日本にもあるのではないか。秋葉原事件は死刑判決が確定した。背景には格差や貧困の問題があるのではないか。内なる問題として考える必要があるのではないか。

イスラム国の戦闘員の待遇はいいのか。原油安で苦しくなった。その代わりに略奪暴行を許しているのではないか。第二次世界大戦の日本軍と同じである。イスラム国は残虐と言われるが、支配下で普通に暮らしている人民も多い。世界史の視点で見れば極端に異常な存在ではない。

ヨルダンのパイロットは1月3日の時点で既に殺されていた。その情報を把握していたら、交渉自体が成り立たない。ヨルダンが死刑囚を一方的に解放するだけになり、ハードルが高い。ヨルダンからすると日本人のために自国の犯罪者を解放することは納得できない。イスラム国にとっては日本とヨルダンの分断工作になる。

自衛隊を派遣しても役に立たない。米国への追随のポーズに過ぎない。それで日本を危険に晒すことはやめて欲しい。日本国内でテロが起こる可能性もある。その覚悟が積極的平和には必要ということか。

日本国内の格差と貧困問題も考えて欲しい。個人の犯罪としてだけでなく、社会的な問題として考えて欲しい。悲鳴が上がっている。ナショナリズムに利用されることは悲しい。最終的には使い捨てられてしまう。明日食べる金がないとなると自暴自棄になる。そこまで人間を追い込まない社会にする。

日本社会ではムスリムはイメージしづらい。その中でどう考えるか。どうにかしようとすると、余計酷くなる危険性がある。一生懸命に汗を流して経済的に貢献するということをすればいい。平和な社会になって欲しい。中東のことは中東の人間が決める。石油に価値がなくなれば欧米は手をひくだろう。

環境放射線測定器「HORIBA PA-1000 Radi」を用いて希望のまち東京in東部事務所の放射線量を測定した。屋内が0.067マイクロシーベルト、建物入口の中が0.07マイクロシーベルト、建物入口外の雨樋が0.117マイクロシーベルトであった。

トマ・ピケティ『21世紀の資本』

トマ・ピケティ『21世紀の資本』を議論する。資本主義が進むと富の偏在が起こり、資本主義社会自体が持たなくなる。だから再分配していくべきである。労働よりも資本の収益率が高い。再配分を考えるべきである。タックスヘイブンなどの租税回避を規制する。このままでは格差が拡大する。分厚い中間層を作るべきである。

ピケティは来日した。民主党でもピケティを招いて議論した。民主党は「共生社会創造本部」を立ち上げる。本部長は岡田克也代表。格差是正と経済成長を両立する。民主党が政権を獲得した時は、小泉構造改革で生まれた格差と貧困の解消を打ち出した。アベノミクスに対しても正面から対抗軸を打ち出すべきではないか。

貧困と格差に苦しむ人々に報いることは正しいが、それだけではバラマキに終わってしまう。かつて民主党は「コンクリートから人へ」で土木利権に切り込もうとした。そのような改革視点がないとバラマキだけと批判されるのではないか。

トリクルダウン理論は嘘である。格差は増大する一方である。儲けることで周りが豊かになることをしていくべきではないか。そもそもトリクルダウンを期待することは屈辱的である。滴り落ちるものを、口をあけて待っているというものは人間を侮辱している。そのようなものを期待してはいけない。

『21世紀の資本』は過激な本ではない。当たり前のことを言っている。左翼が武器にするような問題ではなく、自民党支持者にも分かりやすい。人間が知恵を出し合って良い社会をつくっていく。

高度成長期であれば日本全体が成長することで皆が豊かになると言われていた。低成長時代で求めることは無謀である。無駄なものを売らなければ儲からない時代になった。物があふれかえっている。必要とさせられて買わされている商品が多い。携帯電話の頻繁なモデルチェンジなどがある。サポートが打ち切られるということで、使えるものでも新しいものに買い換えなければならなくなる。放射能測定器は福島原発事故さえ起きなければ需要がなかった。

工場生産で価値を生む時代ではなくなった。この時点でマルクス主義は終わった。マルクスが悪い訳ではない。時代が変わっている。どのようなことで価値を生み出していくのか。設備投資をして資本を生むという単純な話ではない。量的緩和で設備投資が増えるという単純な話でもない。設備投資をするならば労働力の安い外国に置く。円安で外国資本や輸出企業だけが儲けている。

人間が創造的な価値を発揮しやすい環境に置く。人間を大切にする企業も出てきているところは出てきている。生産力の増大により、必要な労働力は少なくなっている。それならば労働時間を短縮させるべきである。

『21世紀の資本』は資本の性質を説明したものである。それが経済学的なアプローチである。それに比べるとカール・マルクス『資本論』は哲学書という感じである。労働者搾取論に立たない点でマルクス主義者ならば批判できるものである。左翼がピケティを持てはやすことはおかしい。

左翼はどこまでマルクス主義を理解しているか。あまり理解していないのではないか。表面的に階級闘争論を理解して、敵味方を峻別して権力批判をするのではないか。「能力に応じて働き、必要に応じて得る」と言うが、必要なだけを得る節度が人間にあるか。少なくとも発達した資本主義社会で成り立つ。発展途上の資本主義社会では無理である。共産主義は資本主義の対立ではなく、資本主義の次の段階としてあるのではないか。



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