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希望のまち東京in東部第83回市民カフェ「日独裁判官物語」

希望のまち東京in東部は2016年3月10日(木)、希望のまち東京in東部第83回市民カフェを東京都江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催した。今回は映画『日独裁判官物語』などを議論した。

『日独裁判官物語』は日本とドイツの裁判官の差を描いている。この映画は日本の法曹関係者6000人が1万円を寄付する事により1999年に製作され、「NHKスぺシャル」でも放映された。当時のNHKは良い番組を放送していた。

日本の裁判官はドイツに比べると、あまりに閉鎖的である。官舎に住み、市民感覚から離れている。映画の冒頭が印象的である。日独の最高裁判事の出勤風景が映される。日本の裁判官は黒塗りの車に乗って出勤する。ドイツの裁判官はスクーターで出勤する。また、ドイツの裁判所は当事者と同じ平面で裁判する。

日本の裁判所内部を撮影しようとするが、職員に拒否される。最高裁判所の許可がない限り日本では、裁判所内部の撮影はできない。元裁判官はインタビューで「日本の裁判官は市民との接触を避けます。その意味では開かれた裁判所ではありません。裁判官は、各々独立した地位を保証されていますが、最高裁判所の意向に沿わない判決を出すと、任地、給料、昇級に不利益を受けます」と答えている。

ドイツでは任地の規制はない。何時までもその場所に留まることができる。政治的な運動も自由である。「裁判官である前に一人の市民である」との意識がある。裁判所もまた、市民のために開かれていて、市民の会合のために利用することもできる。「市民のための、市民としての裁判官」の意識がドイツにはあるが、日本にはない。この違いは何か。

日本の裁判官は結局のところ、国家に従属する。天皇の家臣である。本来、憲法は国民を縛るものであるが、官僚には国民に義務を課すものという感覚がある。ドイツはナチスを反省している。それが日本にはない。日本は無責任構造である。責任者はいない。天皇に責任を負わせなかった。全てに渡って無責任構造が出てくる。それがいいという考え方が日本にある。ドイツが日本と異なる点は裁判官の独立だけではない。軍人も制服を着た市民として遇されている。日本は転勤を断れない。これが異常である。ドイツは連邦制であり、多様性がある。

開かれた裁判官、開かれた裁判所であるために市民が出来ることは、裁判官の星取表を作ればいいのではないか。裁判闘争をされる方も自分の事件については不当判決と批判するが、その裁判官が過去にどれだけ不当判決を出してきたかというような話にはならない。ようやく最近では北本イジメ裁判と最高裁裏金裁判の裁判官が同一人物(東京地方裁判所民事第31部、舘内比佐志裁判長、後藤隆大裁判官)と注目されたくらいである。韓国の市民運動が注目されたが、日本の市民運動と比べた特色として司法監視がある。

日本は個人の独立性に対する文化的な背景がない。日本は皆で助けなければならないところが自己責任になっている。一人で考えなければならないところをお任せにしている。

小林節さんが4月6日に江東区東陽の江東区民センターで講演する。NPO法人・希望の種が2016年3月26日(土)13時半から17時までシンポジウム「ソンミサン方式が生み出す地域発民主主義のカタチ」を立教大学池袋キャンパスで開催する。ソウル市のユ・チャンボク協治諮問官を招く。市民運動も財政の自律性を持つ。安倍政権を潰すだけが目的ではない。ソーラー(太陽光発電)問題は危ない。金儲けに引っ張られている。

選挙は過去のデータでは予測できない。有権者の心理が問題である。魅力的な候補を立てて市民派で勝利する。元航空幕僚長・田母神俊雄氏の資金管理団体で使途不明金の問題がある。何故、今頃起きたのか。内紛である。

日本以上に米国大統領選挙が面白い。必ずしも右か左かではない。民主党予備選でサンダースを支持した人が本選ではトランプを支持する可能性がある。エスタブリッシュメントと草の根という対立軸である。アメリカが戦争を止めることを明確に打ち出している候補はトランプである。東京都知事選挙でも宇都宮健児か田母神俊雄かという意見があった。

トランプ支持者も国家元首として相応しいと本当に思って支持しているのか。レーガン大統領登場時はどうだったか。当時のレーガンはトランプほど色物扱いではなかった。トランプの日本経済への発言は、1980年代のジャパン・バッシングと似ている。







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